実施日:2008年8月5日(火)
場所 :ディディエー地域内
(①チョウンペッ村、②タイヤゴン村、③ジョージャ村④ミャッカヨ村)
全世帯数:330世帯
支援物資:なべ2種類(大、小)、バケツ、コップ、唐辛子、石鹸
【物資調達について】
選定理由
モンの両親、そしてディディエー地域を受け持つ医師ネイリンアウン氏と相談の上決定。
このたび支援に行くことになった地域は、政府からの米の支給以外他の支援が入っておらず、生活を支えるために不可欠な、かつ高額で他団体が支援しにくい物資を選定。
・なべ(大、小)、バケツ、コップ…ヤンゴン市内の卸屋
→各330個ずつ購入(8/2)。(1,945,800ks)
荷物の半分をその日中に、残り半分を4日(月曜)の朝PYAPONに送ってもらう。
店-ヤンゴン港までの送料は無料。
ヤンゴン港-ピャポン港の送料は上記に含む(16,000ks)。
・唐辛子…ヤンゴン市内のマーケット
→15チャッタ入り330袋(計50ベータ)購入(8/4)。(150,000ks)
今後の活動で塩を送るときは仲介してくれるとのこと
・石鹸@ヤンゴン市内のマーケット
→洗濯、330個購入(8/4)。(68,900ks)
【場所選定について】
1.ディディエー地域内で、比較的支援が入っていない村々。
2.持ってきた義援金で以上の物資を全世帯に配布できるような世帯数のある村。
○8月5日当日の動き
参加者5名(モン、モンの両親、モンのいとこ、竹本)
4:00出発
7:30ピャポン到着
Dr.ネイリンアウンさん、看護婦さん、ディディエーの村人(道案内)と合流
物資の積み込み
10:00チョウンペッ村(175世帯)到着
村長宅で昼食、その間タイヤゴン村(合計46世帯)住人も集まる
12:00配布開始(チョウンペッ村、タイヤゴン村両住人へ)
12:30配布終了
Drたちは次の2箇村(ジョージャ村(36世帯)、ミャッカヨ村(約50世帯)
(8/3コンダインレ村(70世帯)には支援が入ったとの情報から変更))へ、
私たちはヤンゴンに向けて出発
18:00ヤンゴン到着
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【会計報告】
資金2,369,500ks
内訳
2,222,000ks-アチンナレ
90,000ks-モン&竹本
50,000ks-大塚さん(東大)
200ks-モンの家族より
★支出(物資調達)
種類 費用(単位:キャット)
1 鍋など 1,945,800
2 唐辛子 150,000
3 石鹸 68,900
4 船代など 100,000
★他の支出(交通費など)
1 交通費(ヤンゴン-ピャポン) 64,500
2 ライフジャケット5着 33,000
計2,362,200ks
約20万3千円
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○感想(なお)
学校がなくなってしまっていたのですが、ノートなどにまわすお金がなかったため、今回は生活物資だけの支援となってしまいました。
ヤンゴンからディディエーを抜け、ピャポンという港町を経由して、そこからボートで村々のあるデルタ地帯まで漕ぎすすめました。物資は石鹸と唐辛子は車でピャポンまで、それ以外はヤンゴンから直接ピャポンまで船で送ってもらいました。
村長さん宅に到着し、周辺2つの村の住民が集まっている間、食事など豪勢なおもてなしも受けました。私がはじめて食べるものには、部屋中の人が私に注目して、私の反応をうかがう、というような場面もあり、おかしかったです。数単語しか分からない私に、ひたすらビルマ語で話しかけてくる村のみなさんは本当に元気でした。
医師の持っていた住民名簿と村長の持っていた名簿とを刷り合わせ、間違いがないかを確認した後、各世帯の代表者の名前を読み上げ、名簿にサインしてもらい(サインできない人は×印)、それぞれの物資を配給しました。出発直前までは天気が心配されましたが、配っている最中はかんかん照りでした。私が緑、赤、青の3色あるバケツを配っていると、「赤がいい」と言ってくる人も結構大勢おり、びっくりしました。
のこり2つの村には時間の都合上行けず、物資を医師に託しました。写真および報告書を提出してもらうようにお願いしています。
全体として、私にはひたすら「ついって行っただけ」感の拭えないものとなりました。というのも、物資の調達に付き添ったり、現地にも行きましたが、言葉が分からないため、調達や用意も、現地での手はずも、すべておあつらえ向きというか、ready-madeな支援だったと思います。そんな支援でも、長距離の移動など、決して容易なものではなかったので、お仕事の合間に自身で一から物資の交渉もしてくれている愛先生には頭が上がらない思いです。また、モンの家族には本当にお世話になりました。物資調達のための店でも、現地でも、私は「日本人」として彼らに珍しがられ、逆に写真を撮られたりと、ちやほやされました。しかし、ただ「日本人」というだけでも喜んでもらえたのはよかったかな、と感じています。
支援後愛先生とお会いして、先生は時間節約のためと、もてなした家が支援物資を多く受け取るということがあるということから、食事などを受け取らないようにしている、というのは初耳で、できればやはり支援に行く前にお会いしたかったと思いました。しかし、今回は私たちをもてなしてくれた村長さん一家は、私たちを村からピャポンまで船で送ってくれましたし、次の村に行くために医師がすぐに残った物資などをまとめていたので、村長一家が多く受け取るということはなかったと思います。
先生とは、今後もやはり現地の声を優先して、欲しがっているものを持っていこう、という話になりました。そのためのヒントとして、今回同行してくださった医師の連絡先を
お渡ししました。体だけには本当に気をつけて行ってもらいたいと思いました。
○感想(モン)
支援実施の村の世帯数を調べること、物資の値段を調べること、村までのボート、物資配布の準備などはDr.NayLinAung氏が協力してくれました。支援物資の調達や運搬はヤンゴンにいる知り合いの紹介で、思っていたより順調にいきました。お店の人も、寄付すると言うことだけで、安くしてくれたりして、ただにしてくれたりしてくれました。
ミャンマーにいる皆には本当にお世話になりました。Drの連絡先、お店の連絡先などは先生にお伝えしましたので、参考にしてくださったらと思います。
初めて被災地を訪ねることができて、とてもよかった!!思っていたより、回復が早くて正直少しは安心しました。しかし、いろいろ聞いてみると支援などは十分にもらえているということでもなく、自力で立ち直ろうとしているのがわかりました。倒れた家を竹の棒で支えて建て直して住んでいる人もいれば、家が完全に壊れたから親戚に頼って、住む場所を借りて貰っている人もいました。農作業もうまくいってないよ、大変だけど頑張るしかないよと笑顔でいってくれました。彼らは私たちが日本から支援していることに驚いていた。わざわざ村まで来てくれたねとても喜んでいました。ありがとうと言われている私がありがとうと言いたいぐらい元気をもらいました。なんだか、皆がすごい!!と思いました。
その一方、こんな頑張っている人たちのため、これだけの支援では足りないのではないか、もっと頑張らなくてはという意識が強くなってきました。今まで活動されている愛先生ともみじ学校の皆さん、キンキンの親戚、今回協力してくださったお医者さん、看護婦さんのように現地に密着して活動している人たちがまぶしかったです。正直言うと、そのようにできない自分が悔しいです。でも、悔やんでばかりでは何もできないから、今できることを頑張っていきます。
先生とミャンマーにいるすべての協力者にお願いです!これからも、復興支援をよろしくお願いします。
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