2008年10月19日日曜日

アチンナレ第11回支援報告

第11回支援
  場 所   :          DEDAYE(デェーダイェ)の村     
                   チャウンジー村、チース村
  出発日   :         2008年9月15日(月)
  出発時間 :         午前6時~午後9時
参加人数   :           12名
  支援物資 :           米、豆、玉ねぎ、じゃがいも、ポスター
                   古着(日本からの寄付)、子供用制服
                  ノ ート、鉛筆、ボールペン、消しゴム、帽子
現地の様子

今回は、日本留学中であり、サイクロン復興支援会の中心メンバーであるKhin Khin Htweさんが自分で調査し、支援が必要と感じた村への支援となりました。
 チャウンジー村はデェーダイェの町から船で行かなければならず、また、遠いので支援の手が行き届いていないとのことでした。チース村は以前食料の支援を行ったのみで、教育的支援を行っていませんでした。この村の子供たちへの支援は今までに届いていないということなので、今回は子供たちだけの支援となりました。
 
 チャウンジー村では子供たちが僧院の一角で勉強をしていました。幼児から中学生までの学生が机を囲んで勉強に励んでいる姿が印象的でした。子供たちそれぞれに文具のほか、制服および、雨季が終わると日差しが強くなるので帽子をあげることにしました。子供たち一人ひとりの手に物資を渡し、帽子はかぶせてあげました。 
 その後、村人へ食糧を配りました。物資を配る直前になり、問題が発生しました。誰が言い始めたのか、この物資を受け取るために各家庭300チャットずつはらわなければならないと言うのです。私たちが行ってきた支援場所ではそんなことまったくなかったし、こんなことになるなんて想像もつかなかったので、ただただ、驚くばかりでした。村人の中の誰かが私服を肥やすためにそんなことを言い始めたのだと思いますが、とても残念なことでした。それを聞きすぐに、Khin Khin Htweさんが村人に大声で「そんな事実はないこと。私たちは寄付のために来たのでお金を受け取るなんて事はしないこと。そんなことを言い出す人は前へ出てくるように」と訴えました。彼女のおかげでお金を渡して、物資をもらおうとしていた純粋な村人たちはお金を払わず、きちんと物資を受け取ることができました。ここでは残った物資のほとんどは、配る手伝いをしてくれた先生方や、村人たちに均等に配り終えました。

 次にチース村へ移動して、前回同様建築中の僧院で子供たちへ物資を配りました。以前は屋根がなく、物資を配るときに雨が降り出し、とても大変だったことを思い出しましたが、今回はトタン屋根が出来上がっていて、うれしく思いました。また、中には私を見て、「あ!あの人この間来た人だ!」と私を覚えてくれていた子供がいて、とても感動しました。



支援活動を終えて

  ミャンマーサイクロン復興支援会「アチンナレ」を始め、ミャンマーの方々、日本の方々からの義援金をもとに、5月から数回にわたって支援活動を行ってまいりました。お金の面だけでなく、支援活動を一緒に手伝ってくれた現地の人々、そして学生たちなど、本当にとても多くの方々の協力を得ての支援となったことにとても感謝しております。本当にありがとうございました。また私自身、支援活動を通して多くのことを学び、よい経験になりました。
 被害を受けた状況から見ると、私にできたことはわずかではありましたが、物資を届けに行った場所の人々へはきちんと物資が届いたのは確かであります。そして彼らから、心のこもった笑顔とお礼をいただいたのも確かであります。報告書を通して、それらが皆様にも届いていれば幸いです。
 まだ日本からもってきた義援金でKhin Khin Htweを始め、日本から来ているアチンナレのメンバーである東京大学の薦田さんと、一橋大学の学生の冬子さん、MOMIJIの学生たちが物資を届けに行っております(18日~20日)。今回オーバーした予算はその残った資金で埋め合わせをさせていただきます。
皆様、本当に、本当にご協力ありがとうございました。



支援物資

米                  70袋
豆                 12袋
たまねぎ             10袋
じゃがいも            10袋
ノート               4ダース(  48冊)
鉛筆               100ダース(1200本)
ボールペン           100ダース(1200本)
消しゴム             40ダース( 480個)
子供用制服           800枚
子供用帽子           126着
ポスター             230枚(ユニセフから)

 チャウンジー 
   世帯数     331世帯      児童数 226人      教師数   9名
      幼稚園児  40名       1年生   32名
      2年生   28名       3年生   21名
      4年生   29名       5年生   32名
      6年生   17名       7年生   10名
      8年生   16名

   一世帯につき              米                  5ビー
   一世帯につき              豆                  1ベイタ
   一世帯につき              じゃがいも              1ベイタ
   一世帯につき              玉ねぎ                1ベイタ
子供たち一人につき            学校の制服              1着
   子供たち一人につき         帽子                  1つ
   子供たち一人につき         消しゴム                1個
   子供たち一人につき         ユニセフポスター          1枚
幼児~4年生一人につき         ノート                  4冊
   幼児~4年生一人につき      鉛筆                   4本
   5年生~8年生一人につき    ノート                   6冊
   5年生~8年生一人につき     鉛筆                   1本
   5年生~8年生一人につき    ボールペン                4冊
   教師一人につき           10,000Ks.

* なお、米一袋はお坊さんに、残った食料は配布を手伝ってくれた村人たちに分け、残った文具は先生に託しました。


 チース村
    児童数   112人 教師数   4名
    幼稚園児  44名  1年生  25名    2年生  20名
    3年生    17名  4年生   8名

   子供たち一人につき    学校の制服         1着
   子供たち一人につき    帽子           1つ
   子供たち一人につき    消しゴム         1個
   幼児~4年生一人につき  ノート           4冊
   幼児~4年生一人につき  鉛筆           4本
教師一人につき 10,000Ks.





経費報告
米           70袋×14500Ks.         = 1,015,000Ks.
玉ねぎ         10袋                 = 209,452 Ks.
じゃがいも       10袋                 = 155,677 Ks.
豆            12袋×27000Ks.          = 324,000Ks.
ノート           225ダース×1550Ks.       = 348,750Ks.
鉛筆           2440本              = 95,650Ks.
消しゴム         460個×67Ks.          =  30,820 Ks.
制服(スカート)     335着               = 400,000Ks.
制服(女シャツ)    82枚                 = 227,000Ks.
制服(女ロンジー)  75枚                 = 165,000Ks.
制服(男シャツ)    373枚                = 675,800Ks.
制服(男ズボン)    329本.               = 875,400Ks.
帽子           795個               = 945,000Ks.
教師への寄付金    13人分              = 130,000Ks.


その他   
物資仕入れにかかた交通費(文房具)          = 10,000Ks.
物資運び賃(食料)                      = 13,000Ks.
タクシー代(学校~船着場 往復)             = 13,000Ks.
船代(ヤンゴン~ダラッ 往復)               = 420Ks.
乗り合いタクシー代
(ダラッ~デェーダイェ 往復3台分)            = 156,000Ks.
ボート代                             = 40,000Ks.
昼食代                              = 11,900Ks.
タンティン村へのノート(25ダース)              = 42,500Ks.



  


             合計           5,884,369ks.
                           (約59万円)



キンキンの支援報告
             
現地の様子
   
 今回も前回同様、バスや船を乗り継いで、デェーダイェ町まで行き、そこから船で1時間半ほどのチャウンジー村を訪れました。
 前回の支援の後はデェーダイェに残っていて現地調査を行いました。私たちの支援はどんな形で人々に役に立っているかこれからは彼らのため必要な物資が何かというのを知りたかったからです。9月10日にはインドウ村に、9月11日はKyii Su村と今日チャウンジー村に実際に行きました。
 デェーダイェから遠く離れているこの村を選んだ理由はかなり交通が不便なところで支援が2か月半前までの支援は最後でほとんど支援が届いてない事を確認した上で支援することを決めました。
 村に着いたら早速学校に行きました。学校はサイクロンで完全に壊れてしまって4か月以上経ったとしてもまだ立て直すことができないので僧院に集まって教育を受けているようです。前回の村々と違って小さい村なのに中学校まであります。
学生は2百人以上もいます。雨季はそろそろ終わるので市場にレインコートを買うのはとても難しくなってきたので代わりに帽子と制服を支援することにしました。サイクロンの被害で子どもたちは制服で学校へ行くのはとても大変みたいです。今まで行ったほとんどの学校は私服で学校へ来ている子は多かったです。
 一人ひとりの名前を呼びながら帽子と制服と文房具を渡しました。違い色の帽子をかぶりながら制服をもらっている時子供たちの喜びは私たちにも伝わって来ました。他の団体などはやってないことだし、来年まで着ることもできるし、自分が大きくなったら妹、弟たちにも渡せるこの支援物資は最高だったようです。
 それからその僧院の下で物資を配るためいろいろ準備をしてみんな忙しくなっていました。その時、一人のメンバーから聞いたのですが、誰かが村の人たちから「私たちに払うため」と偽ってお金を集めているそうです。実際、村の人たちが300チャットと袋を手に握って待っているのを見ました。びっくりしたというよりかなりショックで頭真っ白になった。なぜそんなことをやるの?誰がそんな大胆なことを考えたの?不思議でいらいらしてきました。
 それで村の人たちに大きな声で“誰がお金を集めようとしているの?私たちに払うお金なんて全く必要はないです。私たちはあなたたちの手に実際に届くため頑張って来ましたが、この村の誰かがあなたたちをだましてお金を集めようとしている。その人はもしいるとしたら前に出てきてください。理由を聞きたいです。その上、もし私たちが帰ったあとに集めようとしても払わないでください”とみんなの前で発表しました。
 今回は先生ととともにMOMIJIで日本語を教えている日本人の先生も参加しました。怒りとともに日本人たちには恥ずかしい思いでした。最後まで、犯人を捜しました。結局、その村のリーダーと小さいグルプのリーダーたちがやったわけです。私たちの支援は、現地にいる人々の協力を得ていますが、村のリーダーたちには報告する程度にとどめ、必要以上に関わらないようにしてきました。今回も村のリーダーとのかかわりはありませんでしたが、彼らは、後ろで私たちの支援と偽って儲かろうとしていたのです。
 村の人たちに聞いてみたらサイクロンの直後支援団体とかが来たときもこのように集めたと言われた。交通が不便だからせめてボート代は払う方がいいと理由をつけて教育受けてない、何も分からない村の人たちをだまして稼いでいるずるい人たちがいました。
 先生と他の協力者たちもこのようなことは初めてでみんな悲しい思いでした。でも、村の人たちの前にそれを話したため村の人たちはすごく喜んで寄付を受けました。彼らの顔は明るくなって、うれしい気持ちを隠そうともしなかったです。わたしたちの支援は困っている人たちを助けようとしているから私たちの支援を邪魔する人たちには許すことはできないです。何があっても実際に届くため頑張って行きたいです。
 これから先生が支援を行ったチース村にもう一度教育支援のため訪れました。先週この村に行ったとき私たちの支援以来は誰も寄付しに来てないということを聞きました。人数が少ないうえほとんどは漁師の仕事で生活しているようです。復興するためには自分たちの力でとても難しいみたいです。その上、町から遠く離れているためユニセフみたいな大きい団体じゃないと支援しに誰も来ないです。私たちも一つの村に2回支援することはできないです。しかし、この村は前回食べ物の支援だけで教育支援はしなかったです。サイクロンの1か月後の支援なので学校は全くないので教育支援はできなかったです。学校はないので僧院でみんな勉強しています。子供達はほとんど私服でとても貧しいです。この村には必ず教育支援をしたいと思いました。先生と相談してこの村をもう一度支援することを決定しました。
 子どもたちは私たちが来るのを待っているようで、みんな入った途端先生に挨拶してくれました。帽子を被っている子供たちと記念写真を撮りました。遅くなっているのでみんな急いで船に戻りました。私たちの船が遠くなるまで手を振って見送りをしている子供たちの姿は私たちの疲れを忘れさせました。お互いに感謝の気持ちで別れました。
 今回の支援は甘い味、苦い味とかで様々でしたが、たくさん勉強になりました。

2008年10月8日水曜日

アチンナレ第10回支援報告

                           2008年9月12日

第10回支援
  場 所   :     DEDAYE(デェーダイェ)の村
               タンティン村、チョッボゥッ村
  出発日   :     2008年9月8日(月)
  出発時間  :    午前6時~午後8時
参加人数    :    12名
 支援物資   :    米、玉ねぎ、じゃがいも、ウォーターガード、毛布
               古着(日本からの寄付)
              ノート、鉛筆、ボールペン、消しゴム、雨合羽
現地の様子
被害を受けてから4ヶ月経った今も、支援が届いておらず、困っている村がまだあることを再確認しました。しかし、デェーダイェまでの村々ではそれぞれ復旧工事が進んでおります。また、支援物資と思われる(団体のロゴ入り)物を持った子供たちや、村人たちの姿があちらこちらに見られ、物資が届いたんだな~と実感し、うれしく思いました。

  今回は日本留学中であり、サイクロン復興支援会の中心メンバーであるKhin Khin Htweさんおよび、May Hsu Shinさんが参加してくれました。
日本で集めた義援金は彼女たちの力によって集められたものであります。
 今回訪れた村のうちのひとつであるタンティン村は、デェダイェの町のすぐ側にありながら、近すぎるためか支援の手が伸びておらず、今までに一回しか支援がきておらず、とても困っている様子でした。
まず始めに僧院へ行き、お坊さんに支援物資の説明、支援の仕方、また残ったものをお坊さんに差し上げることなどを伝え、学校へ出向きました。学校は仮設校舎であり、床は石のままでその上に長板を引いて座って授業を行うという形で、少々ショックを受けました。また、ノートではなく、子供たち一人ひとりが小さな黒板に板書しており、記録するものはありませんでした。しかし、今まで行った学校では皆がノートを使用していたので、さほどノートの必要性はないのではないかと思い、今回は一人に1冊分のノートしか用意していませんでした。なので、翌日デェーダイェに残ったKhin Khin Htweさんに追加でノートを支給してもらうことにしました。
 その後、僧院へ戻り、村人たちに支援物資を一世帯ごとに名前を読み上げ手渡ししました。この村はとても協力的で、私たちが学校に支援に行っている間に玉ねぎとジャガイモを一世帯ずつの量に分けて袋に入れておいてくれたのでスムースに進むことができました。

 次の村へはボートを使って行きました。まず始めにチョッボゥッ村の子供たちが通っているという学校へ行きました。村が多い割には子供たちが少なかったので、どうしてかな?と思ったのですが、学校までボートで通うしかなく、学校に通っていない子供もたくさんいるとのことでした。この学校でも物資を支給し、その後、村へ行きました。確かに村に着くと、子供たちがたくさん居ました。学校に行っていない子供がこんなにも多いのか?と思うと複雑な気持ちになりました。
物資は僧院で(お坊さんの目の前で)支給しました。この村は世帯数も、人口もとても多いので村を8つのグループに分けているそうです。各グループごとに色の異なる手帳を持っており、名前を呼ばれた世帯主はその手帳に印を押し、物資をもらうという形で進められました。時間はかかりましたが、きちんと各家庭に物資が届いたのは確かです。

また、今回は学校で教鞭をとっておられる先生方にもお礼の意味となにかに役立ててほしいという気持ちから一人に10,000チャットずつお渡ししました。どの先生も子供たちのために長い通勤距離を歩きや、自転車でこられており、また、給料もわずかながら一生懸命教えておられ、頭の下がる思いでした。いまさらですが、今まで行った学校の先生たちに渡してあげられなかったことが悔やまれます。

 


今後の支援活動について
 
今まで数回わたって支援活動を行ってまいりました。まだまだ支援の行き届いていない場所があるにもかかわらず、支援の手はだんだんと少なくなってきているのが現状です。しかし、大きな団体は支援活動を続けているようです。私たちもまだまだ支援活動を続けたいのは山々ですが、時間的な問題、資金的な問題から次回(9月15日)を持ちまして最後とさせていただきます。
よって、次回は残っている資金の許す範囲で支援活動をします。現在、デェーダイェに残っているKhin Khin Htweさんが次回の活動地を調査し、決定してくれることになっております。


支援物資

   米                          70袋
たまねぎ                         15袋
   じゃがいも                     15袋
ウォーターガード                    40本
ノート                            4ダース(  48冊)
    鉛筆                        100ダース(1200本)
ボールペン                       100ダース(1200本)
消しゴム                         40ダース( 480個)
   毛布                        800枚
   子供用雨合羽                  126着
   大人用雨合羽                  5着
ポスター                        300枚(ユニセフから)

 タンティン村
   人口    487人    世帯数 118世帯
児童数    56人 教師数   2名
    幼稚園児  29名
    1年生    8名      2年生    9名
    3年生    7名      4年生    3名

   お坊さん(2名)   掛け布団                 1枚ずつ
   一世帯につき    米                     2ビー
   一世帯につき    じゃがいも                1ベイタ
   一世帯につき    玉ねぎ                  1ベイタ
一世帯につき       掛け布団                 1枚
児童一人につき MOMIJIノート                   1冊
   児童一人につき   鉛筆                   4本
   児童一人につき   ボールペン               2本
   児童一人につき   消しゴム                1個
   児童一人につき   雨合羽                 1着
   教師一人につき   雨合羽                  1着
   教師一人につき                         10,000Ks.

* なお、残った米(一袋)、ジャガイモ(2/1袋)、玉ねぎ(2/1袋)はお坊さんに渡しました。


 チョッボゥッ村
   人口   2700人    世帯数 658世帯
児童数    58人 教師数   3名
    保育園児   4名      幼稚園児  28名
    1年生     6名      2年生    6名
    3年生     5名      4年生    9名

   お坊さんと小坊主(9 名) 掛け布団      1枚ずつ
   一世帯につき    米             2ビー
   一世帯につき    じゃがいも         1ベイタ
   一世帯につき    玉ねぎ           1ベイタ
一世帯につき   掛け布団   1枚
   児童一人につき   鉛筆           2本
   児童一人につき   ボールペン        2本
   児童一人につき   消しゴム         1個
   児童一人につき   雨合羽          1着
   教師一人につき   雨合羽          1着
教師一人につき 10,000Ks.

* なお、途中で玉ねぎとジャガイモは足りなくなってしまったので、その分、米を多めに渡しました。
残った米(1 2/1)と掛け布団15枚はお坊さんに渡しました。


経費報告


米        70袋×13500Ks.             =  945,000Ks.
玉ねぎ      15袋                    = 289,845 Ks.
じゃがいも    15袋                    = 539,505 Ks.
ウォーターガード 40本                    = 16,000Ks. 
ビニル袋    100枚                    = 1,600Ks.
毛布       800枚×2800Ks.              = 2,240,000Ks.
ノート      4ダース×1300Ks.              = 5,200Ks.
鉛筆      100ダース×470Ks.            = 47,000Ks.
ボールペン   100ダース×960Ks.           = 96,000Ks.
消しゴム     40ダース×800Ks.           =  32,000Ks.
雨合羽        66着×1800Ks.            = 118,800Ks.
雨合羽        60着×1600Ks.            = 96,000Ks.
雨合羽(大人用)    5着×4500Ks.           = 22,500Ks.
教師への寄付金     5人分               = 50,000Ks.


その他    物資仕入れにかかた交通費          = 7,000Ks.
        日本からの古着にかかった税金       = 4,500Ks.
        タクシー代(学校~船着場 往復)      = 9,000Ks.
         船代(ヤンゴン~ダラッ 往復)        = 330Ks.
        現地移動用の車(トラジ)            = 10,000Ks.
乗り合いタクシー代
          (ダラッ~デェーダイェ 往復3台分)    = 150,000Ks.
         昼食代                       = 11,000Ks.


* 数回にわたって寄付していたマンカレー村の学校建設および、学校部品の一部として1,720,000チャット寄付することにしました。寄付へは毎回マンカレーへ行っている知人が(9月16日)行き、その村の村長および、先生に渡してくれることになっています。その知人から報告が届き次第、私のほうで報告書を作成し、皆様にご報告いたします。
  


             合計           4,691,280ks.
          マンカレーへの寄付    1,720,000ks.
           
合計 -6,411,280Ks=約64万円


            
キンキンの支援報告

現地の様子

   今回は、先生と一時帰国の私(キンキン)とメイさんをはじめ学生たち12人でデェーダイェ町まで行きました。そしてそこからトラジーに乗ってThan Din村に訪れました。この村を選んだ理由はデェーダイェ町から近すぎて大体の支援の人たちは町と同じもらっていると思ってここに行かないで残されているからです。それの上、この村のリーダーは私たちをすべて協力してくれました。
    この村の様子から見てすごく困っているのは分かりました。人々に純粋さを感じました。最初に僧院に行って日本から寄付してくれて古着、靴とかをお坊さんに寄付してその後は隣にある小学校に行きました。現地の人たちはこの日にヤンゴンから寄付する人たちがくるのを前持って知っているのでみんな集まって待っていました。学校はサイクロンの直後に壊れてしまったがひとつの会社の寄付と村の人たちの力で建て直している中です。子供達は征服じゃなくて普通の服で、暗い雰囲気でした。みんなの名前を呼んで一人ずつ配っているうちに笑顔は出てきました。キャンディを配った後はリンコートを着てもらってみんなで記念の写真を撮りました。その学校に先生二人しかいない。行く前に先生と私相談して先生たちに1万キャット渡すことにしました。こんな状況の中教育してくれる先生方には感謝の気持ちで、少ないけど使えるならと思って渡した。うれしくて涙が出そうになっている顔は忘れられないと思います。これからの村々の先生たちにも渡す決心をしました。近くの僧院は建設途中ですが屋根もあるし広い場所でした。そこで村の人々に1世帯につき代表の名前を呼びながら物資を渡しました。人々はすごく喜んでいました。
    昼ごはんを早く食べてトラジーに乗ってボート乗る場に移動した。そこから15分ぐらい乗ってKyon boat村の地域にあるAutchaungkalay村の小学校に着きました。学校は完全に壊れたため立て直したばかりの学校でした。私たちが学校の前に立ったとたん中の子供たちは元気な声であいさつしてくれました。嬉しいとともにびっくりしました。学校の学生からリストを見て子どもたちの名前を呼んで一人ずつ物を配りました。面白いことに最初に私が記念のため子供が貰っている姿を写真とったら子供全員が文房具をもらったら私の前で立て写真撮らせてもらいました。終わったら早速ボートに乗って20分ぐらいのKyon boat村に向かいました。
   その村を選んだ理由はデェーダイェから遠くはないが被害が大きかったし、今はお米を買いたいのになかなか仕事がないから食べ物に困っていて食べ物が欲しいという要求に応じて米、じゃがいも、玉ねぎと毛布を支援することにしました。実際にいてみたら道とか家とかはかなり回復している様子でしたがほとんどの人々は昼間なのに家にごろごろしているのを見えました。この村はかなり大きいで、場所によって8グルプもある。僧院は一つしかないがコンクリートの建物だったので被害を少しだけ受けたようで、お坊さんは9人ぐらいます。着いたら協力してくれる村のリーダーとかは村の人々に拡声器で呼んで物資を配り始めました。今回の村の違いはちゃんとしたデタの上に核家族に家の代表の名前、数とか書いてあるノートはあってそこにリーダーのスタンプを押してから支援物資をもらうことにしていました。660世帯もあるので結構時間がかかったが村の人々は寄付する人たちが実際に来てくれたから物資はちゃんと手に入れたという喜びの声も聞こえました。私たちの手を握ってありがとうと言う人も多くいました。
    今回の支援はいろいろな乗り物で移動したから結構急いでいました。しかし、参加者はかなり多いし、協力する人も多かったため順調に終わりました。ミャンマー人でいるがなかなか経験できないことなのでこの支援の帰りは充実した感じがしました。これからの支援も頑張っていきます。


今後の支援について

   10日と11日には先生が支援に行った二つの村と15日予定の村に調査しに行きました。それについてはまた詳しく報告する予定です。支援物資のは必要に応じて変えている私たちの方針通り、ミャンマーは今雨季なので雨が降っていがそろそろ終わるためレインコートは市場で少なくなってきました。何百人買うためにはすごく難しくなっていました。それで、レインコートの代わりに何が欲しものはないのかと現地の先生たちに聞いてみました。そうすると、これからは久氏が激しくなるミャンマーでは靴と帽子が欠かせないものになっています。靴はサイズバラバラなのであきらめてこれからの支援物資は帽子にしました。後はミャンマーの農業は11月にならないとお米の収穫はできないので食べ物はすごく困っていると言われました。サイクロンの直後は支援団体とかはたくさん来ていたので食べ物に関してあまり困らなかったが今はだんだん少なくなってその上、お米がとれないからとても困っています。ですから、毛布も必要ですが食べ物の量を増やすことに考えています

合同慰霊祭

 アジア文化会館
「アジアの自然災害犠牲者の合同慰霊祭」

 日頃、私たちアチンナレを支えてくれているアジア文化会館で、2008年8月29日に「アジアの自然災害犠牲者の合同慰霊祭」が催されました。
ミャンマーでのサイクロンによる大災害、中国四川省大地震、日本の東北地方大地震と、今年は世界各地で大きな災害に見舞われました。それに応じて、アチンナレのメンバーを含むアジア文化会館の留学生は、募金活動などそれぞれの災害の復興支援活動を行ってきました。今回、アジア文化会館の学生たちが中心となって催された合同慰霊祭に、アチンナレのキンキン、ナンモー、相原、ユユ、カイが参加しました。




慰霊祭には、アジア文化会館近燐の日本人の方もおいでくださり、留学生日本人合わせて約50名が参加しました。黙祷、各災害の状況と復興支援活動の報告の後、日頃からアジア文化会館と関係のある近隣の寺院のご住職による読経があり、焼香、献花を各自それぞれの宗教の方式で行い、犠牲者を弔いました。



式次第

1.開会・黙祷
2.報告
(1)ミャンマーのサイクロン被害と留学生による復興支援活動
(2)中国四川省の大地震被害と留学生による復興支援活動
(3)日本での災害の状況
3.読経
4.焼香・献花等慰霊(各人の方式で)
5.閉会

 私たちアチンナレの立場としては、犠牲者のことを想って、今回のような慰霊祭を開催していただいたことに感謝しています。

2008年10月6日月曜日

アチンナレ第9回支援報告(続)

9回支援報告(続)

Dr. Nay Lin Aungたちに配布をお願いした2箇村のこと。

ジョージャ村(38世帯)では、村のお寺で配布を行ないました。お寺にも2セット分の物資を寄付。全部で40世帯分になりました。

ミャッカヨ村では場所がなくて、川辺で配布しました。57世帯からの村人たちは小さなボートで物資をもらいに来ました。

物資は一種類10個ほど残りました。

②残りの物資の報告

1 種類10個ぐらい残っていたのをネーヨンカー村(55世帯)で配りました。

種類をくじ引きして、全世帯配れるようにしました。

③お医者さんに運搬費として預けた10万キャットの報告。

運搬費 : 22500キャット

残り   : 77500キャット

(残りの77500キャットで、黒板3枚をキャウンス村の学校に

設置することになりました)

(モン)