第11回支援
場 所 : DEDAYE(デェーダイェ)の村
チャウンジー村、チース村
出発日 : 2008年9月15日(月)
出発時間 : 午前6時~午後9時
参加人数 : 12名
支援物資 : 米、豆、玉ねぎ、じゃがいも、ポスター
古着(日本からの寄付)、子供用制服
ノ ート、鉛筆、ボールペン、消しゴム、帽子
現地の様子
今回は、日本留学中であり、サイクロン復興支援会の中心メンバーであるKhin Khin Htweさんが自分で調査し、支援が必要と感じた村への支援となりました。
チャウンジー村はデェーダイェの町から船で行かなければならず、また、遠いので支援の手が行き届いていないとのことでした。チース村は以前食料の支援を行ったのみで、教育的支援を行っていませんでした。この村の子供たちへの支援は今までに届いていないということなので、今回は子供たちだけの支援となりました。
チャウンジー村では子供たちが僧院の一角で勉強をしていました。幼児から中学生までの学生が机を囲んで勉強に励んでいる姿が印象的でした。子供たちそれぞれに文具のほか、制服および、雨季が終わると日差しが強くなるので帽子をあげることにしました。子供たち一人ひとりの手に物資を渡し、帽子はかぶせてあげました。
その後、村人へ食糧を配りました。物資を配る直前になり、問題が発生しました。誰が言い始めたのか、この物資を受け取るために各家庭300チャットずつはらわなければならないと言うのです。私たちが行ってきた支援場所ではそんなことまったくなかったし、こんなことになるなんて想像もつかなかったので、ただただ、驚くばかりでした。村人の中の誰かが私服を肥やすためにそんなことを言い始めたのだと思いますが、とても残念なことでした。それを聞きすぐに、Khin Khin Htweさんが村人に大声で「そんな事実はないこと。私たちは寄付のために来たのでお金を受け取るなんて事はしないこと。そんなことを言い出す人は前へ出てくるように」と訴えました。彼女のおかげでお金を渡して、物資をもらおうとしていた純粋な村人たちはお金を払わず、きちんと物資を受け取ることができました。ここでは残った物資のほとんどは、配る手伝いをしてくれた先生方や、村人たちに均等に配り終えました。
次にチース村へ移動して、前回同様建築中の僧院で子供たちへ物資を配りました。以前は屋根がなく、物資を配るときに雨が降り出し、とても大変だったことを思い出しましたが、今回はトタン屋根が出来上がっていて、うれしく思いました。また、中には私を見て、「あ!あの人この間来た人だ!」と私を覚えてくれていた子供がいて、とても感動しました。
支援活動を終えて
ミャンマーサイクロン復興支援会「アチンナレ」を始め、ミャンマーの方々、日本の方々からの義援金をもとに、5月から数回にわたって支援活動を行ってまいりました。お金の面だけでなく、支援活動を一緒に手伝ってくれた現地の人々、そして学生たちなど、本当にとても多くの方々の協力を得ての支援となったことにとても感謝しております。本当にありがとうございました。また私自身、支援活動を通して多くのことを学び、よい経験になりました。
被害を受けた状況から見ると、私にできたことはわずかではありましたが、物資を届けに行った場所の人々へはきちんと物資が届いたのは確かであります。そして彼らから、心のこもった笑顔とお礼をいただいたのも確かであります。報告書を通して、それらが皆様にも届いていれば幸いです。
まだ日本からもってきた義援金でKhin Khin Htweを始め、日本から来ているアチンナレのメンバーである東京大学の薦田さんと、一橋大学の学生の冬子さん、MOMIJIの学生たちが物資を届けに行っております(18日~20日)。今回オーバーした予算はその残った資金で埋め合わせをさせていただきます。
皆様、本当に、本当にご協力ありがとうございました。
支援物資
米 70袋
豆 12袋
たまねぎ 10袋
じゃがいも 10袋
ノート 4ダース( 48冊)
鉛筆 100ダース(1200本)
ボールペン 100ダース(1200本)
消しゴム 40ダース( 480個)
子供用制服 800枚
子供用帽子 126着
ポスター 230枚(ユニセフから)
チャウンジー村
世帯数 331世帯 児童数 226人 教師数 9名
幼稚園児 40名 1年生 32名
2年生 28名 3年生 21名
4年生 29名 5年生 32名
6年生 17名 7年生 10名
8年生 16名
一世帯につき 米 5ビー
一世帯につき 豆 1ベイタ
一世帯につき じゃがいも 1ベイタ
一世帯につき 玉ねぎ 1ベイタ
子供たち一人につき 学校の制服 1着
子供たち一人につき 帽子 1つ
子供たち一人につき 消しゴム 1個
子供たち一人につき ユニセフポスター 1枚
幼児~4年生一人につき ノート 4冊
幼児~4年生一人につき 鉛筆 4本
5年生~8年生一人につき ノート 6冊
5年生~8年生一人につき 鉛筆 1本
5年生~8年生一人につき ボールペン 4冊
教師一人につき 10,000Ks.
* なお、米一袋はお坊さんに、残った食料は配布を手伝ってくれた村人たちに分け、残った文具は先生に託しました。
チース村
児童数 112人 教師数 4名
幼稚園児 44名 1年生 25名 2年生 20名
3年生 17名 4年生 8名
子供たち一人につき 学校の制服 1着
子供たち一人につき 帽子 1つ
子供たち一人につき 消しゴム 1個
幼児~4年生一人につき ノート 4冊
幼児~4年生一人につき 鉛筆 4本
教師一人につき 10,000Ks.
経費報告
米 70袋×14500Ks. = 1,015,000Ks.
玉ねぎ 10袋 = 209,452 Ks.
じゃがいも 10袋 = 155,677 Ks.
豆 12袋×27000Ks. = 324,000Ks.
ノート 225ダース×1550Ks. = 348,750Ks.
鉛筆 2440本 = 95,650Ks.
消しゴム 460個×67Ks. = 30,820 Ks.
制服(スカート) 335着 = 400,000Ks.
制服(女シャツ) 82枚 = 227,000Ks.
制服(女ロンジー) 75枚 = 165,000Ks.
制服(男シャツ) 373枚 = 675,800Ks.
制服(男ズボン) 329本. = 875,400Ks.
帽子 795個 = 945,000Ks.
教師への寄付金 13人分 = 130,000Ks.
その他
物資仕入れにかかた交通費(文房具) = 10,000Ks.
物資運び賃(食料) = 13,000Ks.
タクシー代(学校~船着場 往復) = 13,000Ks.
船代(ヤンゴン~ダラッ 往復) = 420Ks.
乗り合いタクシー代
(ダラッ~デェーダイェ 往復3台分) = 156,000Ks.
ボート代 = 40,000Ks.
昼食代 = 11,900Ks.
タンティン村へのノート(25ダース) = 42,500Ks.
合計 5,884,369ks.
(約59万円)
キンキンの支援報告
現地の様子
今回も前回同様、バスや船を乗り継いで、デェーダイェ町まで行き、そこから船で1時間半ほどのチャウンジー村を訪れました。
前回の支援の後はデェーダイェに残っていて現地調査を行いました。私たちの支援はどんな形で人々に役に立っているかこれからは彼らのため必要な物資が何かというのを知りたかったからです。9月10日にはインドウ村に、9月11日はKyii Su村と今日チャウンジー村に実際に行きました。
デェーダイェから遠く離れているこの村を選んだ理由はかなり交通が不便なところで支援が2か月半前までの支援は最後でほとんど支援が届いてない事を確認した上で支援することを決めました。
村に着いたら早速学校に行きました。学校はサイクロンで完全に壊れてしまって4か月以上経ったとしてもまだ立て直すことができないので僧院に集まって教育を受けているようです。前回の村々と違って小さい村なのに中学校まであります。
学生は2百人以上もいます。雨季はそろそろ終わるので市場にレインコートを買うのはとても難しくなってきたので代わりに帽子と制服を支援することにしました。サイクロンの被害で子どもたちは制服で学校へ行くのはとても大変みたいです。今まで行ったほとんどの学校は私服で学校へ来ている子は多かったです。
一人ひとりの名前を呼びながら帽子と制服と文房具を渡しました。違い色の帽子をかぶりながら制服をもらっている時子供たちの喜びは私たちにも伝わって来ました。他の団体などはやってないことだし、来年まで着ることもできるし、自分が大きくなったら妹、弟たちにも渡せるこの支援物資は最高だったようです。
それからその僧院の下で物資を配るためいろいろ準備をしてみんな忙しくなっていました。その時、一人のメンバーから聞いたのですが、誰かが村の人たちから「私たちに払うため」と偽ってお金を集めているそうです。実際、村の人たちが300チャットと袋を手に握って待っているのを見ました。びっくりしたというよりかなりショックで頭真っ白になった。なぜそんなことをやるの?誰がそんな大胆なことを考えたの?不思議でいらいらしてきました。
それで村の人たちに大きな声で“誰がお金を集めようとしているの?私たちに払うお金なんて全く必要はないです。私たちはあなたたちの手に実際に届くため頑張って来ましたが、この村の誰かがあなたたちをだましてお金を集めようとしている。その人はもしいるとしたら前に出てきてください。理由を聞きたいです。その上、もし私たちが帰ったあとに集めようとしても払わないでください”とみんなの前で発表しました。
今回は先生ととともにMOMIJIで日本語を教えている日本人の先生も参加しました。怒りとともに日本人たちには恥ずかしい思いでした。最後まで、犯人を捜しました。結局、その村のリーダーと小さいグルプのリーダーたちがやったわけです。私たちの支援は、現地にいる人々の協力を得ていますが、村のリーダーたちには報告する程度にとどめ、必要以上に関わらないようにしてきました。今回も村のリーダーとのかかわりはありませんでしたが、彼らは、後ろで私たちの支援と偽って儲かろうとしていたのです。
村の人たちに聞いてみたらサイクロンの直後支援団体とかが来たときもこのように集めたと言われた。交通が不便だからせめてボート代は払う方がいいと理由をつけて教育受けてない、何も分からない村の人たちをだまして稼いでいるずるい人たちがいました。
先生と他の協力者たちもこのようなことは初めてでみんな悲しい思いでした。でも、村の人たちの前にそれを話したため村の人たちはすごく喜んで寄付を受けました。彼らの顔は明るくなって、うれしい気持ちを隠そうともしなかったです。わたしたちの支援は困っている人たちを助けようとしているから私たちの支援を邪魔する人たちには許すことはできないです。何があっても実際に届くため頑張って行きたいです。
これから先生が支援を行ったチース村にもう一度教育支援のため訪れました。先週この村に行ったとき私たちの支援以来は誰も寄付しに来てないということを聞きました。人数が少ないうえほとんどは漁師の仕事で生活しているようです。復興するためには自分たちの力でとても難しいみたいです。その上、町から遠く離れているためユニセフみたいな大きい団体じゃないと支援しに誰も来ないです。私たちも一つの村に2回支援することはできないです。しかし、この村は前回食べ物の支援だけで教育支援はしなかったです。サイクロンの1か月後の支援なので学校は全くないので教育支援はできなかったです。学校はないので僧院でみんな勉強しています。子供達はほとんど私服でとても貧しいです。この村には必ず教育支援をしたいと思いました。先生と相談してこの村をもう一度支援することを決定しました。
子どもたちは私たちが来るのを待っているようで、みんな入った途端先生に挨拶してくれました。帽子を被っている子供たちと記念写真を撮りました。遅くなっているのでみんな急いで船に戻りました。私たちの船が遠くなるまで手を振って見送りをしている子供たちの姿は私たちの疲れを忘れさせました。お互いに感謝の気持ちで別れました。
今回の支援は甘い味、苦い味とかで様々でしたが、たくさん勉強になりました。
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