今回私は9月17日から22日にかけてミャンマーに滞在し、そのうち18日~20日の3日間DEDAYE(デェーダイェ)のTaw Pa Yone村とDa Ni Pat ,Maw Bi Su村、デェーダイェの町の Aung Min Ga Lar学校の支援に同行させていただきました。
様々な場面で、日本での募金活動とは違った大変さを感じられた一方で、実際に物資を受け取っている人々と直接ふれあい、生活の様子がわかったことが本当に貴重な経験となりました。
まず、ミャンマー全体の様子としては、大木が倒れているなど随所にサイクロンの爪痕が見られましたが、だいぶ回復も進んでいるようでした。人々が少々元気を失っているのではないかと予想していきましたが、それとは裏腹に、渡し舟や市場に響く売り子の声、爆走気味のタクシー運転手やサイカーを乗りこなす人々をみて、活気ある国だなという印象を持ちました。そうかといって人々にせかせかした様子はなく、日本のように忙しそうに足を動かしている人をあまり見かけませんでした。とてもゆったりした気分になれる国です。
ヤンゴンからデェーダイェに入るときは舗装されていない道路をガタガタと揺られながら行きました。長時間の乗車に加え、猛スピードで事故の心配も絶えなかったため、これだけでも結構疲れました。ただ、途中続いていた、葉っぱで造られた家並みがとても美しく、見ているだけで楽しめました。住人の暮らしを想像して、うらやましく思ったりしました。
デェーダイェの町から1、2日目に行った各村まではトラジーと呼ばれる原付3輪車と舟を使いました。小川の周りには草原が広がっており、水牛なども見られました。川で水浴びや網漁をしていて、生活感がありました。
せっかく現地の支援に参加することが出来るのだから、少しでも何か役に立てたら良いなと思っていました。しかし当然のことながら、実際に私が率先して支援を手伝えることはなく、ただ同行したミャンマー人たちの手際の良い準備と慣れた指示に、まごまごしながら見様見真似で従っている感じでした。村人や子どもたちに物資を配るときはすくって入れる作業の繰り返しです。特に男性は豆やたまねぎなどの重い袋を何回も開けるなどしていて、疲れるだろうと思いました。さらに時間に追われる感じで(特に1度に2つの村に支援を行った2日目は時間がありませんでした)おいしいお弁当も素早く食べました。現地で実際に物資を配ってくれている人々の大変さが身にしみて感じられました。
一方で、物資を配るときに子どもたちや村の人々と実際に接することが出来るのが醍醐味です。Taw Pa Yone村の子どもたちは初めとても緊張していました。学校の中も蒸し暑く、1日中過ごすのは大変だろうと思われました。“どうぞー”など日本語でいって帽子を被せてあげましたが表情が硬く、無反応な子供も多くいました。ただ、何もしゃべらないのに、こちらを見つめてくる目が印象的でした。また服装がお洒落で、よく着込んで擦り切れたりしている柄入りワンピースが、とても可愛いかったです。生活物資は村のバゴダで配りました。
一緒に油を配った村のおばあさんは、ずっとミャンマー語で話してくれました。一つ一つの単語は分かりませんが、なんとなく言いたいことが分かりました。“どうぞー”にあたるミャンマー語、“ユバー”をおばあさんから教えてもらい“ミンガラーバ”(こんにちは)とともに実践したところ、言うたびに村の人々が笑ってくれて嬉しくなりました。
お坊さんに挨拶をして帰るとき、学校の前を通ると先程とは打って変わって元気になった子どもたちがはしゃいでいました。“タター!!”(バイバイ)と手を振ると、子どもたちが笑顔で手を振って返してくれて、心温まる思いがしました。
ミャンマー語をほんの少しでも覚えようとすることが、ミャンマー人と打ち解けられる、良いコミュニケーションの第一歩なのだと気づきました。
2日目のDa Ni Pat村とMaw Bi Su村は、村に入るなりとても整備されている印象を受けました。嬉しそうな表情の子どもたちや緊張して泣き出してしまう子どももいて、様々でしたが、皆かわいらしく、良く勉強しているようでした。声を揃えて歌ってくれた歌が素敵でした。
前から覗いてみたいと思っていた、葉っぱの家をこの村で見学することが出来ました。強度は弱く、以前の家もサイクロンで壊れてしまったため新しく造り直したそうです。中には意外にも子どもの勉強机があり、川に臨んだ化粧室はとても風流でした。何時間でもそこでくつろげそうな雰囲気です。
生活物資の配給は、村人の数も多く暑かったため交代で休みながら行いました。疲れて次第に自分の表情が硬くなるのが分かりましたが、他の人の笑い声を聞くと、元気が沸いてくる気がしました。この日は“ヤバレー”(どういたしまして)や、“チャトー”(たまねぎ)、“あるー”(ジャガイモ)、“ペー”(豆)などを使ってみて、笑いをとりました。
行き帰りの舟の中でも単語をたくさん教えてくれたので面白かったです。日本人が使っているというだけで皆笑ってくれるので私と薦田さんは得していた気がします。
3日目に行ったデェーダイェ)の町の Aung Min Ga Lar学校の子どもたちは積極的で元気いっぱいだったのでこちらまで元気をもらうことが出来ました。前の日の夜、ミャンマーの子どもたちに関して、支援に行く学校の子どもたちは緊張しているので大人しいが、普段は日本の小学生よりも元気でうるさいのだという話を聞いていました。この学校を見て、本当にその通りだと納得し、とても安心しました。
私は制服を配っていましたが、受け取るときにくるくるした目で、“ありがとう”といってくれたので、何度も抱きしめたくなりました。名前を教えてくれたり、勉強している英語のノートを見せてくれたりしました。ノートには“Do you like chicken?”“Yes, I do.”などと可愛いことが書いてありました。
お姉さんたちのミャンマー語が面白いほど分からず、始終微笑みと少々のジェスチャーで会話していました。何の話が出来たわけではないけど、自分としてはとても仲良くなれたと思っています。出会ったミャンマー人は皆本当に優しく、親切で冗談も大好きで、人見知りな私でもすぐに打ち解けられました。
私ミャンマーの「タナカ」という伝統的なお化粧をし、現地人に溶け込む作戦をとっていました。しかし中部出身の薦田さんのミャンマー人ぶりには到底かないませんでした。
また、別に印象的だったことは、MOMIJIの学生のナイさんの話です。ナイさんはサイクロン直後からボランティアとしてNGOに参加していたそうで、直後の悲惨な話と活動の様子を聞かせてくれました。こうして今に至るまで現場で頑張ってくれていた人がいるということに改めて気づき、日本では感じられなかったリアルさにドキッとしました。
愛先生とはデェーダイェに行く前後にお会いしましたが、すごく元気で、ミャンマー語で学生たちと冗談を言い合っているのに、同じ日本人としてびっくりしました。私は1回だけ行き、様子を見ただけですが、休日を返上してこうした支援に中心的存在として何度も行ってくださったことを本当にありがたく感じました。
ミャンマーにいる時間は短かったですが、多くの発見があり、ミャンマーに対する見方も変わりました。現地支援にも行くことが出来て本当に良かったです。やはり百聞は一見に如かず、なのですね。
(冬子)
2008年11月27日木曜日
2008年11月22日土曜日
薦田の支援感想
ヤンゴンから、DEDAYEの町までタクシーで悪路を2~3時間。
支援の対象となる村々までは、さらにボートで1時間以上もかかる。
私たちにとって初日の18日は、移動に半日を費やした。
ボートは、大きな川を進んで行ったというよりも、水田の間を縫って行った感じだ。
ただ、周りは水田以外何もなく、家も何kmかごとに1軒あるだけで、とても開けていた。
景色もきれいだった。
村に到着。最初に、児童に文房具・帽子を配った。
私の予想に反して、子どもたちは静かで、怖がっているように見えた。
「俺たち、何も悪いことしないよ!危害は加えません!」
と心の中で思ってみても、子どもたちは黙ったまま。
若干腑に落ちないまま(支援に来ているのに、なんで怖がられなきゃいけないのだろう)、私は、並んでいる児童に消しゴムを渡していった。
威圧的にならないように、子どもと目の高さを合わせて。
「消しゴム、どうぞ」とビルマ語で話しかけながら。
しばらくすると子供たちの話し声が聞こえるようになってきた。
自分のもらった帽子を自慢したり、友達のものと比較したりしているらしい。
笑い声も絶え間なく聞こえるようになった。
なるほど。
たとえ最初は、どこの誰だか分からないような人がいきなり来て驚いていたとしても、
こちらの気持ちを行動で示せば、分かってくれるのか。
子どもたちは単純に帽子や文房具に夢中なだけだろうけど、
それはこちらの狙いでもあるわけだし。
子供たちの笑顔には、とても励まされた。
(2日目は子供たちがミャンマー国家(!?) を歌ってくれて感動した。)
次に、村の人々に、米・野菜などの生活物資を支援した。
こちらは、村人の生活がかかっているだけに、より緊張感があった。
無愛想に受けとる人もいた気がするが、それは私がとやかく言う問題ではない。
とにかく支援物資が有効に使われればいいと思う。
お母さんに連れてこられた赤ちゃんたちはかわいかった。
2日目の帰りのボートでは、みんなで水をかけあって遊び、とても楽しかった。
----------------------------------------------------------------------
全体を通しての感想としては、
・日本で集まったお金が形になるまでの過程を見ることができてよかった。
5月頃キンキンたちとアチンナレの計画を話し合った時、
愛先生やキンキンの家族、学校の生徒などの知り合いのネットワークを生かして…
ということを聞いたが、そのネットワークの一端を担っている人たちと直接触れ合えてよかった。(本来は初期段階から知り合っているべきだったかもしれないが)
「日本で集まったお金は、こういう人たちの協力で支援物資に変わり、適切に使われている。」
と、これまで以上に胸を張って言えるようになった。
・支援の大変さを少しは知ることができた。
実際に体を動かして物資を配るのは本当に大変だった(お米は特に大変(笑))。
でも、支援物資を前もって手配して被災地に送る、などの準備もあったようであり、
その辺には関われなかった。
・「100%届く支援」の実現は本当に大変なのだと実感した。
我々活動メンバーには内緒で、物資受け取りに(!?) お金が必要と偽って
村人からお金をせしめようとする輩がいたらしい。
物資を100%届けたい一心で活動しているメンバーの陰で、
自分の利益だけを考え、人を欺く者がいい思いをすることは許されないと思った。
と同時に、理想の実現はやはり簡単ではない、ということを改めて知った。
【番外編】
・DEDAYEのおばさんの話
「自分は今回の支援活動に参加することで、
『被災者を助けたい』という自分一人では遂げられなかった思いを実現している」
少し新鮮な視点だった。支援活動は、被災者だけにいい影響を及ぼしているのではない、ということを実感した。
最後に、今回の支援に携わった全てのみなさん、日本の方もミャンマーの方も、そしてそれ以外の国の方も、本当にありがとうございました。
(薦田)
支援の対象となる村々までは、さらにボートで1時間以上もかかる。
私たちにとって初日の18日は、移動に半日を費やした。
ボートは、大きな川を進んで行ったというよりも、水田の間を縫って行った感じだ。
ただ、周りは水田以外何もなく、家も何kmかごとに1軒あるだけで、とても開けていた。
景色もきれいだった。
村に到着。最初に、児童に文房具・帽子を配った。
私の予想に反して、子どもたちは静かで、怖がっているように見えた。
「俺たち、何も悪いことしないよ!危害は加えません!」
と心の中で思ってみても、子どもたちは黙ったまま。
若干腑に落ちないまま(支援に来ているのに、なんで怖がられなきゃいけないのだろう)、私は、並んでいる児童に消しゴムを渡していった。
威圧的にならないように、子どもと目の高さを合わせて。
「消しゴム、どうぞ」とビルマ語で話しかけながら。
しばらくすると子供たちの話し声が聞こえるようになってきた。
自分のもらった帽子を自慢したり、友達のものと比較したりしているらしい。
笑い声も絶え間なく聞こえるようになった。
なるほど。
たとえ最初は、どこの誰だか分からないような人がいきなり来て驚いていたとしても、
こちらの気持ちを行動で示せば、分かってくれるのか。
子どもたちは単純に帽子や文房具に夢中なだけだろうけど、
それはこちらの狙いでもあるわけだし。
子供たちの笑顔には、とても励まされた。
(2日目は子供たちがミャンマー国家(!?) を歌ってくれて感動した。)
次に、村の人々に、米・野菜などの生活物資を支援した。
こちらは、村人の生活がかかっているだけに、より緊張感があった。
無愛想に受けとる人もいた気がするが、それは私がとやかく言う問題ではない。
とにかく支援物資が有効に使われればいいと思う。
お母さんに連れてこられた赤ちゃんたちはかわいかった。
2日目の帰りのボートでは、みんなで水をかけあって遊び、とても楽しかった。
----------------------------------------------------------------------
全体を通しての感想としては、
・日本で集まったお金が形になるまでの過程を見ることができてよかった。
5月頃キンキンたちとアチンナレの計画を話し合った時、
愛先生やキンキンの家族、学校の生徒などの知り合いのネットワークを生かして…
ということを聞いたが、そのネットワークの一端を担っている人たちと直接触れ合えてよかった。(本来は初期段階から知り合っているべきだったかもしれないが)
「日本で集まったお金は、こういう人たちの協力で支援物資に変わり、適切に使われている。」
と、これまで以上に胸を張って言えるようになった。
・支援の大変さを少しは知ることができた。
実際に体を動かして物資を配るのは本当に大変だった(お米は特に大変(笑))。
でも、支援物資を前もって手配して被災地に送る、などの準備もあったようであり、
その辺には関われなかった。
・「100%届く支援」の実現は本当に大変なのだと実感した。
我々活動メンバーには内緒で、物資受け取りに(!?) お金が必要と偽って
村人からお金をせしめようとする輩がいたらしい。
物資を100%届けたい一心で活動しているメンバーの陰で、
自分の利益だけを考え、人を欺く者がいい思いをすることは許されないと思った。
と同時に、理想の実現はやはり簡単ではない、ということを改めて知った。
【番外編】
・DEDAYEのおばさんの話
「自分は今回の支援活動に参加することで、
『被災者を助けたい』という自分一人では遂げられなかった思いを実現している」
少し新鮮な視点だった。支援活動は、被災者だけにいい影響を及ぼしているのではない、ということを実感した。
最後に、今回の支援に携わった全てのみなさん、日本の方もミャンマーの方も、そしてそれ以外の国の方も、本当にありがとうございました。
(薦田)
2008年11月14日金曜日
アチンナレ第14回支援報告
2008年10月1日
第14回支援
場 所 : DEDAYE(デェーダイェ)の学校
Aung Min Ga Lar学校
出発日 : 2008年9月20日(土)
出発時間 : 午前9時~午後11時
参加人数 : 7名
支援物資 : 子供用制服、ノート、鉛筆、ボールペン、消しゴム、帽子
現地の様子
第13回の支援活動後、MOMIJI学校の学生たちのうち二人が私たちとともに現地に泊まりました。早朝起きてみんなでデェーダイェ町のパゴダ(Pagoda)に観光に行きました。朝から雨が降っていました。
10時になったらデェーダイェ町にあるAung Min Ga Lar学校に支援に行きました。学校は9時に始まるのですが、学生が全員集まるのはちょっと遅いので10時ぐらいに学校に向かいました。今回この学校を選んだ理由は、この学校はデェーダイェ町にある学校の中で一番貧しい学校だからです。なぜ貧しいかというと、デェーダイェ町は小さいが区によってお金がある学校もありますが、この学校は一般の人たち、労働によって生活している人たちの子供たちが通っている学校だからです。町の郊外にあるので、村々の子供たちよりはいい方ですが、教育支援は必要としている学校です。
私たちは主に、デェーダイェ町を抜けて支援が届きにくい村などを優先的に支援しています。しかし、今回は支援を必要としている学校なので、町にあろうが地方にあろうが教育支援はしたいと思って、この学校だけ支援することに決めました。家からサイカーで学校まで行きましたが、着く前に道が狭くなっているので途中で歩いて行きました。学校は建設中で、電気が全然ありません。外はすごく雨が降っているため校内は暗くなっています。その中で頑張って勉強している子供たちは大変だろうと思いました。私たちが学校に入るとみんな一斉に挨拶をしてくれました。そして、その日にちょうど机といすを寄付する人もいました。
ずっと前まで机なしでしたが、今日は机と椅子も来るし、私たちから文具や制服などももらえるということでみんなすごく喜んでいたようです。元気な子供たちでした。みんなそれぞれ制服を着ていますが、その中には古くて色がない制服を着ている子供たちが多かったです。私と薦田君はそれに気づきました。最初に四年生たちから配りました。22人登録なのに18人しかいないので、なぜですか?と校長に聞いてみました。一人は風邪で学校を休んでいるが残りの3人は大きな高等学校に行って作文コンテストを受けているから今日は学校に来られないということを聞きました。
将来優秀な学生たちが出て来たらいいなあ~と思いました。みんな頑張って勉強しているということが印象的でした。そして、今回の学校の特徴は、みんな仲良くしているということです。一人の子供は、自分のノートの中が少し破れているから良いノートに変えてほしいのに、私たちに言えないから困っているようでした。そうすると、一年上の女の子がそれを分かって私(キンキン)に変えてくれませんか?と勇気を出して聞きました。私はすぐにいいですよ!と言って変えてあげました。自分のノートじゃなくて他の人のために言ったことなので“妹は偉いですね!”と褒めました。可愛い子供でした。このように、お互いに助け合って生きることは大事だということを子供たちはサイクロンをきっかけに分かったようです。
最後に先生たちに1万チャット渡して、子供たちとあいさつして別れました。今日も子供たちの笑顔と元気な声はすごく可愛かったです。
今後の支援活動について
今日の支援は私が一時帰国中の最後の支援活動参加です。薦田君と冬子さんもこれで現地の活動の様子がわかったと思います。実際に参加して、ミャンマーってどういう国ですか?どういう人たちが生活しているのですか?自分たちの活動はどんな内容でやっているのですか?ということを二人は体で感じて分かったと思います。二人にもちゃんと感想の報告書を書いてもらうようにお願いしました。
今回ミャンマーに帰って一番良かったことは私自身も向こうの支援活動がどれぐらい人の役に立っているかを実際に見られたことです。その上、それを報告書を通じて皆さんに分かってもらえたら最高だと思います。今月で支援活動を5回行いましたが、義援金はまだ残っているので愛先生にお願いして後一回ぐらい行ってもらうことにしました。
仕事の傍ら支援活動も頑張っている愛先生には本当に感謝しています。日本語を教えてくれるだけではなく私たちをいろいろな面で指導してくれる先生のことは一生忘れられないと思います。これからも私たちを続けて見守って下さい。お願いします。本当にありがとうございます。
支援物資
ノート 55ダース( 660冊)
鉛筆 620本
ボールペン 160本
消しゴム 160個
子供用制服 153枚
子供用帽子 153着
先生一人につき 10,000Ks
Aung Min Ga Lar学校
児童数 153人 教師数 6名
幼稚園児 41名 1年生 33名
2年生 29名 3年生 28名
4年生 22名
子供たち一人につき 学校の制服 1着
子供たち一人につき 帽子 1つ
子供たち一人につき 消しゴム 1個
学生一人につき ノート 4冊
学生一人につき 鉛筆 4本
学生一人につき ボールペン 1本
4年生たちには一人につきノート2冊プラスして配りました。
経費報告
教師への寄付金 6人分 = 60,000Ks.
その他
乗り合いタクシー代
(デェーダイェ~ヤンゴン帰り1台分) = 23,000Ks.
サイカー代(学校まで) = 6, 000Ks.
水と食事代 =3,000Ks.
合計 92,000Ks
( 約1万円)
第14回支援
場 所 : DEDAYE(デェーダイェ)の学校
Aung Min Ga Lar学校
出発日 : 2008年9月20日(土)
出発時間 : 午前9時~午後11時
参加人数 : 7名
支援物資 : 子供用制服、ノート、鉛筆、ボールペン、消しゴム、帽子
現地の様子
第13回の支援活動後、MOMIJI学校の学生たちのうち二人が私たちとともに現地に泊まりました。早朝起きてみんなでデェーダイェ町のパゴダ(Pagoda)に観光に行きました。朝から雨が降っていました。
10時になったらデェーダイェ町にあるAung Min Ga Lar学校に支援に行きました。学校は9時に始まるのですが、学生が全員集まるのはちょっと遅いので10時ぐらいに学校に向かいました。今回この学校を選んだ理由は、この学校はデェーダイェ町にある学校の中で一番貧しい学校だからです。なぜ貧しいかというと、デェーダイェ町は小さいが区によってお金がある学校もありますが、この学校は一般の人たち、労働によって生活している人たちの子供たちが通っている学校だからです。町の郊外にあるので、村々の子供たちよりはいい方ですが、教育支援は必要としている学校です。
私たちは主に、デェーダイェ町を抜けて支援が届きにくい村などを優先的に支援しています。しかし、今回は支援を必要としている学校なので、町にあろうが地方にあろうが教育支援はしたいと思って、この学校だけ支援することに決めました。家からサイカーで学校まで行きましたが、着く前に道が狭くなっているので途中で歩いて行きました。学校は建設中で、電気が全然ありません。外はすごく雨が降っているため校内は暗くなっています。その中で頑張って勉強している子供たちは大変だろうと思いました。私たちが学校に入るとみんな一斉に挨拶をしてくれました。そして、その日にちょうど机といすを寄付する人もいました。
ずっと前まで机なしでしたが、今日は机と椅子も来るし、私たちから文具や制服などももらえるということでみんなすごく喜んでいたようです。元気な子供たちでした。みんなそれぞれ制服を着ていますが、その中には古くて色がない制服を着ている子供たちが多かったです。私と薦田君はそれに気づきました。最初に四年生たちから配りました。22人登録なのに18人しかいないので、なぜですか?と校長に聞いてみました。一人は風邪で学校を休んでいるが残りの3人は大きな高等学校に行って作文コンテストを受けているから今日は学校に来られないということを聞きました。
将来優秀な学生たちが出て来たらいいなあ~と思いました。みんな頑張って勉強しているということが印象的でした。そして、今回の学校の特徴は、みんな仲良くしているということです。一人の子供は、自分のノートの中が少し破れているから良いノートに変えてほしいのに、私たちに言えないから困っているようでした。そうすると、一年上の女の子がそれを分かって私(キンキン)に変えてくれませんか?と勇気を出して聞きました。私はすぐにいいですよ!と言って変えてあげました。自分のノートじゃなくて他の人のために言ったことなので“妹は偉いですね!”と褒めました。可愛い子供でした。このように、お互いに助け合って生きることは大事だということを子供たちはサイクロンをきっかけに分かったようです。
最後に先生たちに1万チャット渡して、子供たちとあいさつして別れました。今日も子供たちの笑顔と元気な声はすごく可愛かったです。
今後の支援活動について
今日の支援は私が一時帰国中の最後の支援活動参加です。薦田君と冬子さんもこれで現地の活動の様子がわかったと思います。実際に参加して、ミャンマーってどういう国ですか?どういう人たちが生活しているのですか?自分たちの活動はどんな内容でやっているのですか?ということを二人は体で感じて分かったと思います。二人にもちゃんと感想の報告書を書いてもらうようにお願いしました。
今回ミャンマーに帰って一番良かったことは私自身も向こうの支援活動がどれぐらい人の役に立っているかを実際に見られたことです。その上、それを報告書を通じて皆さんに分かってもらえたら最高だと思います。今月で支援活動を5回行いましたが、義援金はまだ残っているので愛先生にお願いして後一回ぐらい行ってもらうことにしました。
仕事の傍ら支援活動も頑張っている愛先生には本当に感謝しています。日本語を教えてくれるだけではなく私たちをいろいろな面で指導してくれる先生のことは一生忘れられないと思います。これからも私たちを続けて見守って下さい。お願いします。本当にありがとうございます。
支援物資
ノート 55ダース( 660冊)
鉛筆 620本
ボールペン 160本
消しゴム 160個
子供用制服 153枚
子供用帽子 153着
先生一人につき 10,000Ks
Aung Min Ga Lar学校
児童数 153人 教師数 6名
幼稚園児 41名 1年生 33名
2年生 29名 3年生 28名
4年生 22名
子供たち一人につき 学校の制服 1着
子供たち一人につき 帽子 1つ
子供たち一人につき 消しゴム 1個
学生一人につき ノート 4冊
学生一人につき 鉛筆 4本
学生一人につき ボールペン 1本
4年生たちには一人につきノート2冊プラスして配りました。
経費報告
教師への寄付金 6人分 = 60,000Ks.
その他
乗り合いタクシー代
(デェーダイェ~ヤンゴン帰り1台分) = 23,000Ks.
サイカー代(学校まで) = 6, 000Ks.
水と食事代 =3,000Ks.
合計 92,000Ks
( 約1万円)
2008年11月10日月曜日
アチンナレ第13回支援報告
2008年9月28日
第13回支援
場 所 : DEDAYE(デェーダイェ)の村
Da Ni Pat村,Maw Bi Su村
出発日 : 2008年9月19日(金)
出発時間 : 午前6時~午後9時
参加人数 : 12名
支援物資 : 米、豆、玉ねぎ、じゃがいも、油、ポスター、
子供用制服、ノート、鉛筆、ボールペン、消しゴム、帽子
18日の支援の後、わたし(キンキン)と冬子さんと薦田君の三人は現地に残り、ヤンゴンから来るMOMIJIの学生参加者たちを待っていました。今回は二日間連続で支援したので、行ったり来たりした参加者たちは大変だったと思います。私たちは現地に泊まることが出来て良かったのですが、大変だった彼らには本当に感謝しています。本当のボランティア精神がないとできないことだと思います。MOMIJI日本語学校の学生たち、ご協力本当にありがとうございます。
現地の様子
今回選んだ村々は困っていて、実際に支援が入りにくい遠い村々だったので、二つの村を一日で配ることができるようにハードなスケジュールを立てました。ヤンゴンに帰る時間の問題で、一日で二つの場所に配るには、二つの村の中に川があるため一つの村を選んでもう一つの村の人々には小さい船でこちらの村に来てもらって支援を受けてもらうことにしました。そのため、前もって現地の人たちにアナウンスしてもらい、当日待っているようにお願いしました。今回は二つの村ですし、支援物資の量もかなり多いため前もって送りました。
ヤンゴンから学生たちが着くとすぐに、トラジに乗ってボート乗り場に行きました。ボートの中ではみんな仲良く話しをしたり、日本での募金活動の説明などをして、一時間以上があっという間に終わってしまいました。村に着くとすでに11時半くらいになっていました。
着いたらすぐ学校に行きました。今回の学校はDa Ni Pat村の学生だけではなく隣の村々の子供たちも通っている学校でした。小学校なのに189人もいました。ユニセフの寄付で簡単な材料で建て直しているのですが、かなり広くて風通しがいい明るい学校でした。しかし、先生は4人しかいませんでした。こんな大勢の学生たちを4人だけで責任を取るのはとてもむずかしいと思うし、頭が下がる思いでした。日本では全く考えられないことだと思います。
四年生から文房具を配り始めました。子供たちはすごく元気でした。自然に笑っている子供たちの笑顔は眩しかったです。いつものように先生たちには1万チャットずつ渡しました。子供たちとみんなで拍手して先生たちを精神的に支えました。最後に子供たちが私たちへのプレゼントとして“ミャンマー国家”を歌ってくれました。彩の帽子をかぶって歌っている子供たちを見て感動してしまいました。彼らから勇気をもらいました。何があっても負けずに頑張って生きることは大事だというのを教えてくれました。
それからすぐ支援物資を配るため準備をしました。前もって送っている物資はちゃんと届いているどうか数をチェックしてから配り始めました。場所は狭かったのですが、村人たちはすごく協力的でしたし、しっかりしているのが印象的でした。二つの村ですが、船で待っているMaw Bi Su村の人達を優先的に最初に配りました。それから、Da Ni Pat村の人たちに配りました。各世帯の代表を呼んで、あげたので全員に届いたのは確かです。世帯数が多かったため、みんな汗をかいて頑張りました。担当を決めて交代でやりました。薦田君はお米を配るのに頑張ってくれました。時間が結構かかりましたが、今日も順調に終わりました。僧院に行きたかったのですが村から少し離れているし、時間もないため行くのをあきらめました。しかし、余ったお米1袋は僧院に送ってもらいました。
帰る前に大雨が降りそうだったのでボートを二つに分けて帰りました。途中で水祭を行いました。お互いに水を掛けて楽しい一日でした。支援している人たちのことですが、みんな若者なのでたまには楽しく、仲良く、交流しても悪いことではないと思います。“愛の絆”はこれからだと思います。
今後の支援活動について
サイクロンが起きて5か月ぐらい立ちましたが支援はまだまだ必要です。時間が立つにつれて、みんなミャンマーのことを忘れてしまうと思いますが、できるだけこの活動を通してみんなの心の中に残るようにしたいと思います。向こうの被災者たちにもたくさんの人たちが応援していることを知ってもらいたいです。家族、子供、仕事すべてを失った人たちは大勢います。私たちの活動では彼らが元の生活に戻れるような支援はできませんが、少しの物資を配りながら精神的に応援する方法が一番いいと思います。
お金を配ったらどうですか??と言われましたが、それはあまりにも簡単です。お金の使い道としては一番いいのかもしれませんが、悲しんでいる人にお金を渡してもそれは精神的な支えにならないと思います。私たちは被害を直接受けていません。だからこそ、汗を流して人を助けることは両方ともに意味があると思います。実際においてもミャンマー政府はお金を配るのを禁止しています。これからも大変だと思いますが、物資を調達して配ることに頑張って行きたいと思っています。
支援物資
米 107袋
豆 19袋
たまねぎ 15袋
じゃがいも 13袋
油 15ボン
ノート 65ダース( 780冊)
鉛筆 770本
ボールペン 200本
消しゴム 200個
子供用制服 189枚
子供用帽子 189着
ポスター(ユニセフの寄付) 100枚
Da Ni Pat村
世帯数 292世帯 児童数 189人 教師数 4名
幼稚園児 71名 1年生 30名
2年生 29名 3年生 28名
4年生 31名
Maw Bi Su村
世帯数 220世帯
一世帯につき 米 5ビー
一世帯につき 豆 1ベイタ
一世帯につき じゃがいも 1ベイタ
一世帯につき 玉ねぎ 1ベイタ
一世帯につき 油 25チャッター
子供たち一人につき 学校の制服 1着
子供たち一人につき 帽子 1つ
子供たち一人につき 消しゴム 1個
学生一人につき ノート 4冊
学生一人につき 鉛筆 4本
学生一人につき ボールペン 1本
教師一人につき 10,000Ks.
学生一人につき ポスター 1枚 (ユニセフの寄付)
経費報告
教師への寄付金 4人分 = 40,000Ks.
追加制服の会計
子供用制服ズボン 18着×1000 = 18,000Ks
シャツ 10着×2800 = 28,000Ks
その他
タクシー代(学校~船着場 往復) = 7,600Ks.
船代(ヤンゴン~ダラッ 往復) = 200Ks.
乗り合いタクシー代
(ダラッ~デェーダイェ 往復1台分) = 57,000Ks.
トラジ代 = 6, 000Ks.
昼食代 = 17,300Ks.
サイカー代(本をボート乗り場までの運賃) = 2,000Ks.
合計 176,100Ks
約1万8千円
第13回支援
場 所 : DEDAYE(デェーダイェ)の村
Da Ni Pat村,Maw Bi Su村
出発日 : 2008年9月19日(金)
出発時間 : 午前6時~午後9時
参加人数 : 12名
支援物資 : 米、豆、玉ねぎ、じゃがいも、油、ポスター、
子供用制服、ノート、鉛筆、ボールペン、消しゴム、帽子
18日の支援の後、わたし(キンキン)と冬子さんと薦田君の三人は現地に残り、ヤンゴンから来るMOMIJIの学生参加者たちを待っていました。今回は二日間連続で支援したので、行ったり来たりした参加者たちは大変だったと思います。私たちは現地に泊まることが出来て良かったのですが、大変だった彼らには本当に感謝しています。本当のボランティア精神がないとできないことだと思います。MOMIJI日本語学校の学生たち、ご協力本当にありがとうございます。
現地の様子
今回選んだ村々は困っていて、実際に支援が入りにくい遠い村々だったので、二つの村を一日で配ることができるようにハードなスケジュールを立てました。ヤンゴンに帰る時間の問題で、一日で二つの場所に配るには、二つの村の中に川があるため一つの村を選んでもう一つの村の人々には小さい船でこちらの村に来てもらって支援を受けてもらうことにしました。そのため、前もって現地の人たちにアナウンスしてもらい、当日待っているようにお願いしました。今回は二つの村ですし、支援物資の量もかなり多いため前もって送りました。
ヤンゴンから学生たちが着くとすぐに、トラジに乗ってボート乗り場に行きました。ボートの中ではみんな仲良く話しをしたり、日本での募金活動の説明などをして、一時間以上があっという間に終わってしまいました。村に着くとすでに11時半くらいになっていました。
着いたらすぐ学校に行きました。今回の学校はDa Ni Pat村の学生だけではなく隣の村々の子供たちも通っている学校でした。小学校なのに189人もいました。ユニセフの寄付で簡単な材料で建て直しているのですが、かなり広くて風通しがいい明るい学校でした。しかし、先生は4人しかいませんでした。こんな大勢の学生たちを4人だけで責任を取るのはとてもむずかしいと思うし、頭が下がる思いでした。日本では全く考えられないことだと思います。
四年生から文房具を配り始めました。子供たちはすごく元気でした。自然に笑っている子供たちの笑顔は眩しかったです。いつものように先生たちには1万チャットずつ渡しました。子供たちとみんなで拍手して先生たちを精神的に支えました。最後に子供たちが私たちへのプレゼントとして“ミャンマー国家”を歌ってくれました。彩の帽子をかぶって歌っている子供たちを見て感動してしまいました。彼らから勇気をもらいました。何があっても負けずに頑張って生きることは大事だというのを教えてくれました。
それからすぐ支援物資を配るため準備をしました。前もって送っている物資はちゃんと届いているどうか数をチェックしてから配り始めました。場所は狭かったのですが、村人たちはすごく協力的でしたし、しっかりしているのが印象的でした。二つの村ですが、船で待っているMaw Bi Su村の人達を優先的に最初に配りました。それから、Da Ni Pat村の人たちに配りました。各世帯の代表を呼んで、あげたので全員に届いたのは確かです。世帯数が多かったため、みんな汗をかいて頑張りました。担当を決めて交代でやりました。薦田君はお米を配るのに頑張ってくれました。時間が結構かかりましたが、今日も順調に終わりました。僧院に行きたかったのですが村から少し離れているし、時間もないため行くのをあきらめました。しかし、余ったお米1袋は僧院に送ってもらいました。
帰る前に大雨が降りそうだったのでボートを二つに分けて帰りました。途中で水祭を行いました。お互いに水を掛けて楽しい一日でした。支援している人たちのことですが、みんな若者なのでたまには楽しく、仲良く、交流しても悪いことではないと思います。“愛の絆”はこれからだと思います。
今後の支援活動について
サイクロンが起きて5か月ぐらい立ちましたが支援はまだまだ必要です。時間が立つにつれて、みんなミャンマーのことを忘れてしまうと思いますが、できるだけこの活動を通してみんなの心の中に残るようにしたいと思います。向こうの被災者たちにもたくさんの人たちが応援していることを知ってもらいたいです。家族、子供、仕事すべてを失った人たちは大勢います。私たちの活動では彼らが元の生活に戻れるような支援はできませんが、少しの物資を配りながら精神的に応援する方法が一番いいと思います。
お金を配ったらどうですか??と言われましたが、それはあまりにも簡単です。お金の使い道としては一番いいのかもしれませんが、悲しんでいる人にお金を渡してもそれは精神的な支えにならないと思います。私たちは被害を直接受けていません。だからこそ、汗を流して人を助けることは両方ともに意味があると思います。実際においてもミャンマー政府はお金を配るのを禁止しています。これからも大変だと思いますが、物資を調達して配ることに頑張って行きたいと思っています。
支援物資
米 107袋
豆 19袋
たまねぎ 15袋
じゃがいも 13袋
油 15ボン
ノート 65ダース( 780冊)
鉛筆 770本
ボールペン 200本
消しゴム 200個
子供用制服 189枚
子供用帽子 189着
ポスター(ユニセフの寄付) 100枚
Da Ni Pat村
世帯数 292世帯 児童数 189人 教師数 4名
幼稚園児 71名 1年生 30名
2年生 29名 3年生 28名
4年生 31名
Maw Bi Su村
世帯数 220世帯
一世帯につき 米 5ビー
一世帯につき 豆 1ベイタ
一世帯につき じゃがいも 1ベイタ
一世帯につき 玉ねぎ 1ベイタ
一世帯につき 油 25チャッター
子供たち一人につき 学校の制服 1着
子供たち一人につき 帽子 1つ
子供たち一人につき 消しゴム 1個
学生一人につき ノート 4冊
学生一人につき 鉛筆 4本
学生一人につき ボールペン 1本
教師一人につき 10,000Ks.
学生一人につき ポスター 1枚 (ユニセフの寄付)
経費報告
教師への寄付金 4人分 = 40,000Ks.
追加制服の会計
子供用制服ズボン 18着×1000 = 18,000Ks
シャツ 10着×2800 = 28,000Ks
その他
タクシー代(学校~船着場 往復) = 7,600Ks.
船代(ヤンゴン~ダラッ 往復) = 200Ks.
乗り合いタクシー代
(ダラッ~デェーダイェ 往復1台分) = 57,000Ks.
トラジ代 = 6, 000Ks.
昼食代 = 17,300Ks.
サイカー代(本をボート乗り場までの運賃) = 2,000Ks.
合計 176,100Ks
約1万8千円
2008年11月2日日曜日
アチンナレ第12回支援報告
2008年9月27日
第12回支援
場 所 : DEDAYE(デェーダイェ)の村
Taw Pa Yone村
出発日 : 2008年9月18日(木)
出発時間 : 午前6時~午後9時
参加人数 : 12名
支援物資 : 米、豆、玉ねぎ、じゃがいも、油、
古着(日本からの寄付15キロ)、子供用制服
ノート、鉛筆、ボールペン、消しゴム、帽子
今回はアチンナレの中心メンバーである薦田君と冬子さんが日本から来て支援に参加しました。外国人を連れていくのはまだまだ厳しい状況ですが,MOMIJI 学校の学生たち、アシスタントたち、親戚の人たちの協力を得て無事に行くことができました。そんなに大変なのになぜ日本人を連れて行きたいの?と聞かれるかもしれませんが、彼らに新しい体験をさせたいというのと日本で募金を集めて送った結果どのように使われているのか、被災者たちにどれぐらい役に立っているのかを分かってもらいたかったからです。
現地の様子
Taw Pa Yone村はデェーダイェの町から船で行かなければならず、また、遠いので支援の手が行き届いていないとのことでした。デェーダイェ町からトラジに乗ってボート乗り場に行きました。細い川なのでスピードを出して運転することは難しいし、実際に遠いので1時間半くらいかかりました。支援物資などは一緒に持って行けないので前もって村に送りました。
昼間ぐらいに村に着いた後、僧院に行ってお祈りをしたり、お坊さんと話したりして、それから近くにある学校に行きました。ちゃんとした建物ではなく簡単な材料で作っている建物でした。机と椅子はほとんどなく、床の上に板を置いて、その上で勉強している子供たちの大変さを感じました。その学校の先生から、学校を立て直すために文部省に申請しているが、自分たちと同じ状況の村はたくさんあるので自分たちの順番がいつ来るか分からない状況で待つしかないという悲しい話を聞きました。
早速文房具と制服、帽子などを配り始めました。子供達はユニセフの鞄以外何も貰ってないし、村の人々、私たち、大勢の人の前で受けることを怖がっていたようです。子供たちを応援しながら配ったら、4年生たちが初めてうれしそうな声を上げ、笑い声と笑顔がその小さい部屋にあふれていました。冬子さんと薦田君も子供たちの笑顔を見て楽しんでいるようでした。
この村は前回の村のように500チャット払ってと言われているという噂を村の一人の叔母さんから聞きました。それで、お金はいらないということと私たちの支援の方針を村の人々の前で丁寧に説明しました。聞いている人たちは嬉しそうな笑顔で私たちを見ていました。それから物資を配りました。今回はその村の要求に応じて油を配ることにしました。入れるだけで時間がかかってしまいました。冬子さんは日本語が全く分からない参加者と現地の叔母さんと一緒に油を入れるのを担当してくれました。
この村の人々も協力的だったので順調に終わりました。それから残ったお米、油をお坊さんに寄付してついでに薦田君と冬子さんが持ってきた古着15キロをお坊さんの手に渡して本当に困っている人々に配るようにお願いしました。
今後の支援活動について
わたしたちの支援はお金を集めること、実際に配ることなどいろいろな状況で遅れているようですが、最初(サイクロンの直後)はたくさんの人たちが来て支援してくれていましたが、今はユニセフのほかに大きな団体しか動いていないという状況です。
被害を受けた状況から見ると、私たちにできたことはわずかではありましたが、時期に応じて物資を変えることにより本当に必要なものを配っている私たちの支援は効果的だということを支援を通して感じました。彼らの喜びを頂いて私たちも心強くなりました。頂いた義援金の範囲で頑張っていきたいと思っています。
今回は薦田君と冬子さんが現地に泊まって支援することになったため、18日から20日まで3回分の支援物資会計を一緒にしました。余っている物資は19日と20日に使う物資です。
支援物資
米 38袋
豆 7袋
たまねぎ 6袋
じゃがいも 5袋
油 5ボン
ノート 37.5ダース( 450冊)
鉛筆 450本
ボールペン 115本
消しゴム 115個
子供用制服 111枚
子供用帽子 111着
Taw Pa Yone村
世帯数 180世帯 児童数 111人 教師数 3名
幼稚園児 41名 1年生 20名
2年生 17名 3年生 17名
4年生 16名
一世帯につき 米 5ビー
一世帯につき 豆 1ベイタ
一世帯につき じゃがいも 1ベイタ
一世帯につき 玉ねぎ 1ベイタ
一世帯につき 油 25チャッター
子供たち一人につき 学校の制服 1着
子供たち一人につき 帽子 1つ
子供たち一人につき 消しゴム 1個
学生一人につき ノート 4冊
学生一人につき 鉛筆 4本
学生一人につき ボールペン 1本
教師一人につき 10,000Ks.
* なお、米1袋と油2ベイタはお坊さんに、残った食料は配布を手伝ってくれた村人たちに分け、残った文具は先生に託しました。
経費報告
米 146袋×14000Ks. = 2,044,000Ks.
玉ねぎ 21袋 = 411,381 Ks.
じゃがいも 18袋 = 297,156 Ks.
豆 26袋 = 692,000Ks
油 20ボン =840,000Ks.
ノート 60ダース×1550Ks. = 93,000Ks.
鉛筆 100本 = 4,000Ks.
消しゴム 20個×67Ks. = 1340 Ks.
ボールペン 200本×80 = 16,000Ks
教師への寄付金 3人分 = 30,000Ks.
その他
物資仕入れにかかった交通費(文房具) = 3500Ks.
タクシー代(学校~船着場 往復) = 18,500Ks.
船代(ヤンゴン~ダラッ 往復) = 200Ks.
乗り合いタクシー代
(ダラッ~デェーダイェ 往復4台分) = 101,000Ks.
トラジ代 = 6,000Ks.
ボート代 = 12,000Ks.
昼食代 = 10,100Ks.
愛先生が足りなかったお金 = 713,507KS.
合計 5,293,684Ks
(約53万円)
第12回支援
場 所 : DEDAYE(デェーダイェ)の村
Taw Pa Yone村
出発日 : 2008年9月18日(木)
出発時間 : 午前6時~午後9時
参加人数 : 12名
支援物資 : 米、豆、玉ねぎ、じゃがいも、油、
古着(日本からの寄付15キロ)、子供用制服
ノート、鉛筆、ボールペン、消しゴム、帽子
今回はアチンナレの中心メンバーである薦田君と冬子さんが日本から来て支援に参加しました。外国人を連れていくのはまだまだ厳しい状況ですが,MOMIJI 学校の学生たち、アシスタントたち、親戚の人たちの協力を得て無事に行くことができました。そんなに大変なのになぜ日本人を連れて行きたいの?と聞かれるかもしれませんが、彼らに新しい体験をさせたいというのと日本で募金を集めて送った結果どのように使われているのか、被災者たちにどれぐらい役に立っているのかを分かってもらいたかったからです。
現地の様子
Taw Pa Yone村はデェーダイェの町から船で行かなければならず、また、遠いので支援の手が行き届いていないとのことでした。デェーダイェ町からトラジに乗ってボート乗り場に行きました。細い川なのでスピードを出して運転することは難しいし、実際に遠いので1時間半くらいかかりました。支援物資などは一緒に持って行けないので前もって村に送りました。
昼間ぐらいに村に着いた後、僧院に行ってお祈りをしたり、お坊さんと話したりして、それから近くにある学校に行きました。ちゃんとした建物ではなく簡単な材料で作っている建物でした。机と椅子はほとんどなく、床の上に板を置いて、その上で勉強している子供たちの大変さを感じました。その学校の先生から、学校を立て直すために文部省に申請しているが、自分たちと同じ状況の村はたくさんあるので自分たちの順番がいつ来るか分からない状況で待つしかないという悲しい話を聞きました。
早速文房具と制服、帽子などを配り始めました。子供達はユニセフの鞄以外何も貰ってないし、村の人々、私たち、大勢の人の前で受けることを怖がっていたようです。子供たちを応援しながら配ったら、4年生たちが初めてうれしそうな声を上げ、笑い声と笑顔がその小さい部屋にあふれていました。冬子さんと薦田君も子供たちの笑顔を見て楽しんでいるようでした。
この村は前回の村のように500チャット払ってと言われているという噂を村の一人の叔母さんから聞きました。それで、お金はいらないということと私たちの支援の方針を村の人々の前で丁寧に説明しました。聞いている人たちは嬉しそうな笑顔で私たちを見ていました。それから物資を配りました。今回はその村の要求に応じて油を配ることにしました。入れるだけで時間がかかってしまいました。冬子さんは日本語が全く分からない参加者と現地の叔母さんと一緒に油を入れるのを担当してくれました。
この村の人々も協力的だったので順調に終わりました。それから残ったお米、油をお坊さんに寄付してついでに薦田君と冬子さんが持ってきた古着15キロをお坊さんの手に渡して本当に困っている人々に配るようにお願いしました。
今後の支援活動について
わたしたちの支援はお金を集めること、実際に配ることなどいろいろな状況で遅れているようですが、最初(サイクロンの直後)はたくさんの人たちが来て支援してくれていましたが、今はユニセフのほかに大きな団体しか動いていないという状況です。
被害を受けた状況から見ると、私たちにできたことはわずかではありましたが、時期に応じて物資を変えることにより本当に必要なものを配っている私たちの支援は効果的だということを支援を通して感じました。彼らの喜びを頂いて私たちも心強くなりました。頂いた義援金の範囲で頑張っていきたいと思っています。
今回は薦田君と冬子さんが現地に泊まって支援することになったため、18日から20日まで3回分の支援物資会計を一緒にしました。余っている物資は19日と20日に使う物資です。
支援物資
米 38袋
豆 7袋
たまねぎ 6袋
じゃがいも 5袋
油 5ボン
ノート 37.5ダース( 450冊)
鉛筆 450本
ボールペン 115本
消しゴム 115個
子供用制服 111枚
子供用帽子 111着
Taw Pa Yone村
世帯数 180世帯 児童数 111人 教師数 3名
幼稚園児 41名 1年生 20名
2年生 17名 3年生 17名
4年生 16名
一世帯につき 米 5ビー
一世帯につき 豆 1ベイタ
一世帯につき じゃがいも 1ベイタ
一世帯につき 玉ねぎ 1ベイタ
一世帯につき 油 25チャッター
子供たち一人につき 学校の制服 1着
子供たち一人につき 帽子 1つ
子供たち一人につき 消しゴム 1個
学生一人につき ノート 4冊
学生一人につき 鉛筆 4本
学生一人につき ボールペン 1本
教師一人につき 10,000Ks.
* なお、米1袋と油2ベイタはお坊さんに、残った食料は配布を手伝ってくれた村人たちに分け、残った文具は先生に託しました。
経費報告
米 146袋×14000Ks. = 2,044,000Ks.
玉ねぎ 21袋 = 411,381 Ks.
じゃがいも 18袋 = 297,156 Ks.
豆 26袋 = 692,000Ks
油 20ボン =840,000Ks.
ノート 60ダース×1550Ks. = 93,000Ks.
鉛筆 100本 = 4,000Ks.
消しゴム 20個×67Ks. = 1340 Ks.
ボールペン 200本×80 = 16,000Ks
教師への寄付金 3人分 = 30,000Ks.
その他
物資仕入れにかかった交通費(文房具) = 3500Ks.
タクシー代(学校~船着場 往復) = 18,500Ks.
船代(ヤンゴン~ダラッ 往復) = 200Ks.
乗り合いタクシー代
(ダラッ~デェーダイェ 往復4台分) = 101,000Ks.
トラジ代 = 6,000Ks.
ボート代 = 12,000Ks.
昼食代 = 10,100Ks.
愛先生が足りなかったお金 = 713,507KS.
合計 5,293,684Ks
(約53万円)
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