2008年11月22日土曜日

薦田の支援感想

ヤンゴンから、DEDAYEの町までタクシーで悪路を2~3時間。
支援の対象となる村々までは、さらにボートで1時間以上もかかる。
私たちにとって初日の18日は、移動に半日を費やした。
ボートは、大きな川を進んで行ったというよりも、水田の間を縫って行った感じだ。
ただ、周りは水田以外何もなく、家も何kmかごとに1軒あるだけで、とても開けていた。
景色もきれいだった。

村に到着。最初に、児童に文房具・帽子を配った。
私の予想に反して、子どもたちは静かで、怖がっているように見えた。
「俺たち、何も悪いことしないよ!危害は加えません!」
と心の中で思ってみても、子どもたちは黙ったまま。
若干腑に落ちないまま(支援に来ているのに、なんで怖がられなきゃいけないのだろう)、私は、並んでいる児童に消しゴムを渡していった。
威圧的にならないように、子どもと目の高さを合わせて。
「消しゴム、どうぞ」とビルマ語で話しかけながら。

しばらくすると子供たちの話し声が聞こえるようになってきた。
自分のもらった帽子を自慢したり、友達のものと比較したりしているらしい。
笑い声も絶え間なく聞こえるようになった。
なるほど。
たとえ最初は、どこの誰だか分からないような人がいきなり来て驚いていたとしても、
こちらの気持ちを行動で示せば、分かってくれるのか。
子どもたちは単純に帽子や文房具に夢中なだけだろうけど、
それはこちらの狙いでもあるわけだし。
子供たちの笑顔には、とても励まされた。
(2日目は子供たちがミャンマー国家(!?) を歌ってくれて感動した。)

次に、村の人々に、米・野菜などの生活物資を支援した。
こちらは、村人の生活がかかっているだけに、より緊張感があった。
無愛想に受けとる人もいた気がするが、それは私がとやかく言う問題ではない。
とにかく支援物資が有効に使われればいいと思う。
お母さんに連れてこられた赤ちゃんたちはかわいかった。

2日目の帰りのボートでは、みんなで水をかけあって遊び、とても楽しかった。
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全体を通しての感想としては、

・日本で集まったお金が形になるまでの過程を見ることができてよかった。
5月頃キンキンたちとアチンナレの計画を話し合った時、
愛先生やキンキンの家族、学校の生徒などの知り合いのネットワークを生かして…
ということを聞いたが、そのネットワークの一端を担っている人たちと直接触れ合えてよかった。(本来は初期段階から知り合っているべきだったかもしれないが)
「日本で集まったお金は、こういう人たちの協力で支援物資に変わり、適切に使われている。」
と、これまで以上に胸を張って言えるようになった。

・支援の大変さを少しは知ることができた。
実際に体を動かして物資を配るのは本当に大変だった(お米は特に大変(笑))。
でも、支援物資を前もって手配して被災地に送る、などの準備もあったようであり、
その辺には関われなかった。

・「100%届く支援」の実現は本当に大変なのだと実感した。
我々活動メンバーには内緒で、物資受け取りに(!?) お金が必要と偽って
村人からお金をせしめようとする輩がいたらしい。
物資を100%届けたい一心で活動しているメンバーの陰で、
自分の利益だけを考え、人を欺く者がいい思いをすることは許されないと思った。
と同時に、理想の実現はやはり簡単ではない、ということを改めて知った。

【番外編】
・DEDAYEのおばさんの話
「自分は今回の支援活動に参加することで、
『被災者を助けたい』という自分一人では遂げられなかった思いを実現している」
少し新鮮な視点だった。支援活動は、被災者だけにいい影響を及ぼしているのではない、ということを実感した。

最後に、今回の支援に携わった全てのみなさん、日本の方もミャンマーの方も、そしてそれ以外の国の方も、本当にありがとうございました。

(薦田)

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