2008年11月27日木曜日

冬子の支援感想

 今回私は9月17日から22日にかけてミャンマーに滞在し、そのうち18日~20日の3日間DEDAYE(デェーダイェ)のTaw Pa Yone村とDa Ni Pat ,Maw Bi Su村、デェーダイェの町の Aung Min Ga Lar学校の支援に同行させていただきました。
 様々な場面で、日本での募金活動とは違った大変さを感じられた一方で、実際に物資を受け取っている人々と直接ふれあい、生活の様子がわかったことが本当に貴重な経験となりました。
まず、ミャンマー全体の様子としては、大木が倒れているなど随所にサイクロンの爪痕が見られましたが、だいぶ回復も進んでいるようでした。人々が少々元気を失っているのではないかと予想していきましたが、それとは裏腹に、渡し舟や市場に響く売り子の声、爆走気味のタクシー運転手やサイカーを乗りこなす人々をみて、活気ある国だなという印象を持ちました。そうかといって人々にせかせかした様子はなく、日本のように忙しそうに足を動かしている人をあまり見かけませんでした。とてもゆったりした気分になれる国です。

   ヤンゴンからデェーダイェに入るときは舗装されていない道路をガタガタと揺られながら行きました。長時間の乗車に加え、猛スピードで事故の心配も絶えなかったため、これだけでも結構疲れました。ただ、途中続いていた、葉っぱで造られた家並みがとても美しく、見ているだけで楽しめました。住人の暮らしを想像して、うらやましく思ったりしました。
 デェーダイェの町から1、2日目に行った各村まではトラジーと呼ばれる原付3輪車と舟を使いました。小川の周りには草原が広がっており、水牛なども見られました。川で水浴びや網漁をしていて、生活感がありました。

 せっかく現地の支援に参加することが出来るのだから、少しでも何か役に立てたら良いなと思っていました。しかし当然のことながら、実際に私が率先して支援を手伝えることはなく、ただ同行したミャンマー人たちの手際の良い準備と慣れた指示に、まごまごしながら見様見真似で従っている感じでした。村人や子どもたちに物資を配るときはすくって入れる作業の繰り返しです。特に男性は豆やたまねぎなどの重い袋を何回も開けるなどしていて、疲れるだろうと思いました。さらに時間に追われる感じで(特に1度に2つの村に支援を行った2日目は時間がありませんでした)おいしいお弁当も素早く食べました。現地で実際に物資を配ってくれている人々の大変さが身にしみて感じられました。

 一方で、物資を配るときに子どもたちや村の人々と実際に接することが出来るのが醍醐味です。Taw Pa Yone村の子どもたちは初めとても緊張していました。学校の中も蒸し暑く、1日中過ごすのは大変だろうと思われました。“どうぞー”など日本語でいって帽子を被せてあげましたが表情が硬く、無反応な子供も多くいました。ただ、何もしゃべらないのに、こちらを見つめてくる目が印象的でした。また服装がお洒落で、よく着込んで擦り切れたりしている柄入りワンピースが、とても可愛いかったです。生活物資は村のバゴダで配りました。
 一緒に油を配った村のおばあさんは、ずっとミャンマー語で話してくれました。一つ一つの単語は分かりませんが、なんとなく言いたいことが分かりました。“どうぞー”にあたるミャンマー語、“ユバー”をおばあさんから教えてもらい“ミンガラーバ”(こんにちは)とともに実践したところ、言うたびに村の人々が笑ってくれて嬉しくなりました。

 お坊さんに挨拶をして帰るとき、学校の前を通ると先程とは打って変わって元気になった子どもたちがはしゃいでいました。“タター!!”(バイバイ)と手を振ると、子どもたちが笑顔で手を振って返してくれて、心温まる思いがしました。
 ミャンマー語をほんの少しでも覚えようとすることが、ミャンマー人と打ち解けられる、良いコミュニケーションの第一歩なのだと気づきました。
 2日目のDa Ni Pat村とMaw Bi Su村は、村に入るなりとても整備されている印象を受けました。嬉しそうな表情の子どもたちや緊張して泣き出してしまう子どももいて、様々でしたが、皆かわいらしく、良く勉強しているようでした。声を揃えて歌ってくれた歌が素敵でした。

  前から覗いてみたいと思っていた、葉っぱの家をこの村で見学することが出来ました。強度は弱く、以前の家もサイクロンで壊れてしまったため新しく造り直したそうです。中には意外にも子どもの勉強机があり、川に臨んだ化粧室はとても風流でした。何時間でもそこでくつろげそうな雰囲気です。
生活物資の配給は、村人の数も多く暑かったため交代で休みながら行いました。疲れて次第に自分の表情が硬くなるのが分かりましたが、他の人の笑い声を聞くと、元気が沸いてくる気がしました。この日は“ヤバレー”(どういたしまして)や、“チャトー”(たまねぎ)、“あるー”(ジャガイモ)、“ペー”(豆)などを使ってみて、笑いをとりました。

 行き帰りの舟の中でも単語をたくさん教えてくれたので面白かったです。日本人が使っているというだけで皆笑ってくれるので私と薦田さんは得していた気がします。
 3日目に行ったデェーダイェ)の町の Aung Min Ga Lar学校の子どもたちは積極的で元気いっぱいだったのでこちらまで元気をもらうことが出来ました。前の日の夜、ミャンマーの子どもたちに関して、支援に行く学校の子どもたちは緊張しているので大人しいが、普段は日本の小学生よりも元気でうるさいのだという話を聞いていました。この学校を見て、本当にその通りだと納得し、とても安心しました。            
私は制服を配っていましたが、受け取るときにくるくるした目で、“ありがとう”といってくれたので、何度も抱きしめたくなりました。名前を教えてくれたり、勉強している英語のノートを見せてくれたりしました。ノートには“Do you like chicken?”“Yes, I do.”などと可愛いことが書いてありました。
 お姉さんたちのミャンマー語が面白いほど分からず、始終微笑みと少々のジェスチャーで会話していました。何の話が出来たわけではないけど、自分としてはとても仲良くなれたと思っています。出会ったミャンマー人は皆本当に優しく、親切で冗談も大好きで、人見知りな私でもすぐに打ち解けられました。

 私ミャンマーの「タナカ」という伝統的なお化粧をし、現地人に溶け込む作戦をとっていました。しかし中部出身の薦田さんのミャンマー人ぶりには到底かないませんでした。
  また、別に印象的だったことは、MOMIJIの学生のナイさんの話です。ナイさんはサイクロン直後からボランティアとしてNGOに参加していたそうで、直後の悲惨な話と活動の様子を聞かせてくれました。こうして今に至るまで現場で頑張ってくれていた人がいるということに改めて気づき、日本では感じられなかったリアルさにドキッとしました。

 愛先生とはデェーダイェに行く前後にお会いしましたが、すごく元気で、ミャンマー語で学生たちと冗談を言い合っているのに、同じ日本人としてびっくりしました。私は1回だけ行き、様子を見ただけですが、休日を返上してこうした支援に中心的存在として何度も行ってくださったことを本当にありがたく感じました。
 ミャンマーにいる時間は短かったですが、多くの発見があり、ミャンマーに対する見方も変わりました。現地支援にも行くことが出来て本当に良かったです。やはり百聞は一見に如かず、なのですね。
(冬子)

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